<好きなことを仕事にするには。>

好きなことを仕事にしたい。
このことばの本質的な部分は何なのか、
お昼ご飯を食べているときにそれがふと閃きました。
好きなことを仕事にしたい、
好きなことを仕事にして、それでお金を得て、
生きていきたいという願いの根っこにあるのは何か、
ぼくなりつきつめていくとそれは、
「自己実現につながる行動に多くの時間を費やしたい」
の言い換えなのだと思われるのです。

つまり、たくさんの人がそれとは逆の日々を生きている、
そう望みながらも反対の過し方をしているのでしょう。
それはどういうことなのか。
ぼくにしても思い当たるところがあります。
誤解を恐れず端的に言えば、
一日の、特に仕事中の時間の使い途というのは、
じぶんが強く意識して、積極的な選択をしない限り、
基本的には「誰かのお願いを聞いてる時間」になります。
この事実をどう捉えるのかということが、
要するに個々の重要な問題だと思うのです。

仕事というものは、人の役に立つことだ。
仕事というものは、誰かの困ったを解決することだ。
であるからして、仕事というものは、
それそのものが誰かのお願いを聞くことではないか。
もしそう訊かれたならば、ぼくとしましても、
反論するところはないのですけれど、
けれど「それだけでいんですか?」という問は、
こちらから投げかけたくなる気持ちはあります。

仕事をすることの主たる目的は、
もちろんお金を得ることなわけですが、
そのために「誰かのお願い」ばかり聞いていて、
じぶんのゴールや目標をないがしろにしていたのなら、
それは果たしてハッピーなのですか、
とぼくなんかには思われます。
人生の大半の時間を費やしてまで、
誰かのお願いを聞き、お金を得たとしても、
お金にはそれほどの価値はないと気付くような気もします。

仕事ですからね、誰かのお願いを聞き、
困っている人の問題を解決して役に立つことは、
言うまでもなく重要ですよ。
でも、それだけでは(ぼくの価値観では)、
人生の三分の一はつまらないことになってしまいます。
それは、それこそ、つまらないでしょう。

誰しも、自己実現につながる行動でお金を得られたら、
それはやっぱりハッピーなことでしょう。
けれどそうなるための道筋には、
お金は(まだ)得られないけれどそのための準備をする、
という時間が絶対に必要です。
その時間を誰かのお願いを聞く時間の中から、
どれほど捻出できるのか、
意識してそうするのかが分かれ目になるのではないかしらん。
そうした人だけがいつの時代も、
好きなことを仕事にしてきたのではないかしらん。

イデトモタカ(2013年9月25日)