<問題になる人。>

すごくいい人で、やさしくて、
気が利いて、穏やかでたのしい人なのに、
なぜかいつも「もめ事」のなかにいる。

その人単体でみれば、なんの問題もなさそうで、
実際いろんな人が接してみても、
おかしなところはなさそうなのに、
むしろとても好意的に思われるのに、
どうしてか、あっちのもめ事にも、そっちのもめ事にも、
こっちのもめ事にも、必ずその人の名前が入っている。
直接的な原因ではなくとも、
その人がいるところでは問題が起きやすい。

そういう変な性質の人がいる。
けれど、間違いなく、その人が、
客観的には問題のなさそうなその「いい人」が、
問題の原因であり、引き金であると推測する方が、
ずいぶんと自然なのだと思われる。
それほどまでに、登場する人なのだから。

ぼくも、どうやらそういう変な性質の人らしい。
じぶんでは気づいていなかったけれど、
近しい人からそう指摘されて、自覚した。
確かに、ぼくにはそういうところがある。

なにもぼくは、すごくいい人で、やさしくて、
気が利いて、穏やかでたのしい人だとは、
じぶんのことを思っていない。
そんな人はめったにいるもんじゃないわけで。
ただ、少なからず「激しい人」だとも、
じぶんのことを思っていない。
トゲトゲとして、偏屈で、どこにいっても
誰かを傷つけてしまうような危なっかしい存在だとは、
じぶんには、じぶんを、どうもそうは思えない。

どちらかと言えば、愛想のいいほうなのだ。
へらへらとして、年少者として、
場を壊さないように、どちらかといえば
気遣っているいるつもりなのだ。
けれど、問題が起こる。
小さいものから、中くらいのものまで。
すごく大きいものは、さすがに起こらない。
それほどの人ではないということだと思う。

ただ、起こる。
小さいのやら、中くらいのやらの問題は、
いろいろな場所で、いろいろな人たちの間で。

これは、なんなのだろうか。

じぶんのことなので、皆目見当がつかない。
けれど、いるのだ、そういう人は。
そして問題の原因は、そいつなのだ、
つまり、ぼくのような「ふつうの人」なのだ。

とはいえ、ぼくの個人的な推測と結論は、
「ふつうの人に見えて、性格に厄介な難アリ」だ。
そうだろうとしか、考えられない。

イデトモタカ(2013年10月9日)