<こころの模様替え。>

好きな人に好かれているという、
互いの片想いが成立しているときは、
それほど幸福なことはないのですけれど、
それがいつか、また、片想いに戻り、
あるいは、互いの片想いを確認する術を失い、
ただ、じぶんが、あの人のことを好いている、
ということしか確かなことがなくなったとき、
人はじぶんのこころの模様替えに苦心します。

かつて、好きだった人。
いまでも、好きな人、なのかどうかさえ、
もうよくわからないような人。
けれど、忘れられなくて、消えなくて、
気になることは事実なのだとしても、
それに対してもう起こすアクションがない。
そういうとき、人は、じぶんという存在を、
あるいは相手という存在を、
どういうポジションにつければいいのか悩みます。
こころのなかで、さまざまな感情の、
思い出の、存在感の、配置の変更を求められます。
この模様替えがうまくできないと、
あるいは、もどかしさから手を付けられずにいると、
いつまでも、古い景色のままで、
いつかの景色のままで過すことになり、
それはやはり、それで、つらいものが残ります。

一般に、女性の方が模様替えのセンスや、
手際が良い印象がありますが、
それはこころにおいても同様のことが
言えるのではないかと思います。
ぼくにはどうしても、男性の気持ちしか、
それはわかりようがないのですけれど、
でも、ひいき目なしに、
男性の方が、模様替えは不得手に見えます。
ぼくがとりわけ面倒くさがりだということは
考慮しなくてはなりませんが、
それでも、いつまでも、このままでいいと、
「いつか」と同じ配置やポジションのまま、
だらだらと時を経てしまう人が多い気がします。

こころの模様替えは意図的です。
じぶんで意図して行うものです。
ほうっておいて、いつのまにか変わってた、
ということは、やっぱりないのです。
ただ、日々少しずつ、一日五分でも、何か一つでも、
片付けていったり、場所を移動させていくことで、
やがてすっかり変わってしまうことはあるでしょう。
人工的に、わざと不自然な配置にすることは、
別の意図があるようで、いいとは思えないですが、
自然に、けれどじぶんの意志でもって、
ゆっくりと変えていけたなら、
そこにまた、新しい風が吹くのだと思います。

イデトモタカ(2013年10月30日)