<いなくなりたい願望。>

いなくなりたい願望があるうちは、
大きなことはできないのかもしれない。

ふと、ここからいなくなってしまいたい、
じぶんのことを知らない人ばかりの街で、
じぶんの過去を気にしない人たちの中で、
静かにひっそりとした生活をしたい、
そう思うことは、年齢の大小に関わらず
ある人はあるし、ない人はないだろう。

いつもいつもではないけれど、
なんでもないときに、ただ歩いているときに、
なぜかすべてが面倒に思えてきて、
ああ、いなくなってしまいたい、
そう思うことがあるうちは、
積極的にこの世界、いまの生活に
太く広い根をはろうという気にはならないから、
地盤を固めようという意志が強く働かないから、
大きなことを成し遂げるのは困難かもしれない。

なにかを成し遂げなければいけないのが
人生ではないし、そんな義務も、責任感も、
決意もいらないといえばいらないのだけれど、
もし仮に、なにかをしたい、残したい、
という想いがあるのであれば、
いなくなりたい願望はその邪魔をするかもしれない。

たんぽぽの綿毛は、つまり種は、
風にのって自由に、どこへでも飛んでいけるけれど、
じぶんがたんぽぽになり、
そして綿毛を、次の命の種をつくるには、
どこかにしっかりとした根をおろし、
成長していかないといけないかもしれない。

少し根をおろし、少し成長するたびに、
いなくなりたい願望が顔を出し、
いつまでもここにいたいわけじゃない、
どこかへ行きたいと思うたびに、
根は広げるのをやめ、成長も止まるかもしれない。

いなくなりたい願望がなくなったとき、
じぶんはこのじぶんで、少なくとも今はここで、
しっかりとやっていくんだとこころを据えたときに、
ようやくなにかを成し遂げる準備が
整うのではないかと思うのだ。

イデトモタカ(2014年1月10日)