<残された側として。>

高畑勲監督の『かぐや姫』を観ました。
竹取物語を原作としたアニメ作品です。
古典的な「物語」というものは、
登場するキャラクターに性格(人格)がないのが
一つの大きな特徴です。
けれど本作では、それぞれの登場人物に
いきいきとした性格付けがなされていて
とてもすんなり感情移入することができました。

多彩なメッセージを放つ秀作でしたが、
なかでも「愛別離苦(あいべつりく)」というテーマが
ぼくにはひじょうに深くこころに響いたのでした。
愛別離苦は、四苦八苦のうちの八苦の一つで、
どれだけ好きな人、愛する人とも
いつか必ず離れたり、別れたりしなければならない
苦しみのことです。

子の親との別れ。
親の子との別れ。
恋人との別れ。
友人との別れ。

于武陵は「サヨナラダケガ 人生ダ」*と言いました。
それではあまりに悲しすぎるじゃないかと
まだまだ甘っちょろいぼくなんぞは思ってしまいますが
けれど、ほんとうは、そうなのかもしれません。

死別した人もいれば、生きているけれど
この先きっともう、会うことはないだろうという
人もたくさんいます。
別れて、別れて、別れてきました。
人生の一時期において、それは本当に親しかった
あらゆる人と別れてきました。
そしてそれはこれからも、もちろん変わらないことでしょう。

救いがそこにあるのだとすれば、
それはつきなみですが、別れの数が
出会いの数を上回ることはないということに思います。
出会わなければと思うような別れでも、
好きな人であったなら、出会ってよかったのです。

(意思に反して)「別れる」ということは、
必ず「残された側」がいるということです。
あなたも、ぼくも、「残された側」です。
死ぬまで「残された側」です。

愛すべき人を愛せるうちに愛し、
せいいっぱい生きたいと思います。

*は井伏鱒二さんの名訳です(原文:人生足別離)。

イデトモタカ(2014年2月16日)