<もらうばかりの人が一番生きにくい。>

じぶんで家事をしないと、なにが不便かって
料理でも洗濯でも「やってもらっている」ことには
文句のいいようがないということです。
「ありがとう」とはいえても、
「こんなんじゃダメだ」「これは嫌だ」とは
いうことはできません。
「だったらじぶんですれば」となるからです。
けれどそれが嫌ならば、なんであれ飲み込むしかありません。

つまり、もらうばかりの人が、実は一番生きにくいのです。
「贈与経済」ということばがありますが、
人はそれぞれに価値を交換し合って生活しています。
じぶんの生み出した価値と、相手の生み出した価値が、
おなじくらいだと思えたなら、チェンジします。
それが「経済に参加する」ということです。

ぼくらはどうして仕事をするのか。
いまのこの国に関してだけいえば、
正直なところ働かなくても生きていくことはできます。
国が最低限の生活というものを保証してくれているからです。
なので、住む場所や、食べるものや、着る服に
まったくこだわらないのであれば、
仕事をしなくてもどうにかやっていけるみたいです。
そうなると、なぜ仕事をするのかという問いに、
「食べるため」や「生きるため」ということは
もう答えとして成立しなくなってきています。
だからこそ、今一度考えてみる必要もある気がします。
どうして、ぼくらは仕事をするのか。

子どもはまだ、仕事をしません。
だから「不自由」を抱えています。
もらうばかりの人が、一番不自由なのです。
なぜなら、贈与がコントロールを生んでいるからです。
つまり、ぼくらは望むコントロールを得るために
仕事をしているのだと思うのです。

基本的に、得たいものは他人が持っています。
言い換えれば、他人の生んだ価値です。
だからそれが欲しいのなら、じぶんの生んだ価値を
提供するということ以外、方法がないのです。
他人の生んだ価値を手にしたいから、
じぶんもそれに同等する価値を生む。
仕事の本質は、その辺りにあるのではないかしらん。

だとすると、じぶんが与えることができる人になればなるほど
得られるものが増える、コントロールの幅が拡がる
といえそうです(当たり前のことですけれど)。
だから、もらうばかりの人が、一番生きにくいのです。
ほしいなら、与える人になりましょう。

イデトモタカ(2014年4月10日)