<会いたい。>

「寂しい」という気もちと
「会いたい」という気もちは、
似ているようで、ちょっと違う。

ぼくは「会いたい」と思うことは
たくさんたくさんあったとしても、
だからといって「寂しい」と思うことは、
「会いたい」のに会えないことを
「寂しい」と表現することはない。

「寂しい」のは、人間の標準なのだ。
「会いたい」は誰もが持ちうる
特殊な感情かもしれないけれど、
「寂しい」は感情の基礎にある。
誰だって、いつだって、
「寂しい」と共に生きているのだ。

だからといって「寂しい」気もちを
埋めるために「会いたい」わけじゃない。
そういう場合もあるかもしれないけれど
「会いたい」のは「会いたい」からだ。
「寂しい」から「会いたい」わけじゃない。

「寂しい」を解消するために
「会いたい」を利用するのは快くない。
「会いたい」のは「会いたい」からだ。
「寂しい」から「会いたい」のだとすれば
それはほんとは「会いたい」わけじゃない。

「寂しい」という気もちを
伝える相手は本当はいないのだ。
「寂しい」は自分に対する感情だから。
誰かに伝えることができるのは
「会いたい」ということだけだ。

「会いたい」は口にできても
「寂しい」は口にするものじゃない。

「会いたい」なら「会いたい」でいい。

イデトモタカ(2014年7月11日)