<見て見ぬふりの原因。>

生き物は恐怖を感じると、
反射的に逃げようとするのだそうです。
たとえば子鹿は、身に恐怖を感じると、
ぴたっと静止して、いつでも全力で
走り出せる準備をするのだといいます。

なんだそんなこと。
今さらいわれなくても知ってるよ。
不快を避けるのは生物の基本だよ、
と思われるかもしれません。
けれどぼくは、この話を聞いて
はっとしました。
色々なことが腑に落ちました。

「恐怖」だと捉えると、逃げる。
だから人はいま、さまざまなことから目を逸らし
こころのなかで逃げているのだと思ったのです。
例えば、このままだと人類は滅んでしまう。
地球は滅亡してしまう。
放射能が、原発が、温暖化が、食糧危機が、
あるいは年金が、保険が、孤独死が、どうのこうの...。

これらは一般的には「恐怖」です。
だから思考が逃げてしまうんですよね。
考えないように別のことでいっぱいにして、
見えないように遠いところに隠れて。

生き物は恐怖を感じると、逃げようとする。

そういう理屈は、ずっと知っていたはずなのに、
だから世界中であらゆる恐ろしい問題に対して
思考がなかなか「解決」に向かず、
できるだけ「無視」するようになっていたのだなとは
考えたことがありませんでした。
でも、じぶん自身のことからもよくよく理解できます。

ピンチはチャンス。よくそんなふうに
認識を変えるのが大事だといわれますけれど、
あれは本当だったんですね。
「恐怖」と捉えてしまったのもについては、
人も生き物ですから、逃げようとするのがふつうです。
でも、それではいけないのなら、恐怖と感じられるものを、
少々強引にでも「チャンス」やら「越えられる壁」やら
なんでもいいから、ことば遊びでもいいから、
「恐怖」以外のものに、認識を変えるのが
まず一番の取り組みなのだと思います。

未来についても同じです。
じぶんの将来の姿について、未来の生活について
現実的に想像するのは、けっこう恐いことです。
どうなっているのだろう、やっていけるのだろうか、
食べていけるのだろうか、その先は、もっと先は…。
そう考えていくと、いつか「恐怖」に突き当たります。

けれど、そうなると「逃げる」しかないわけですから、
見えない未来を「恐怖」ではなく「可能性」と、
「自由に描けるキャンバス」なんだと、強がりでもいいから
捉え直して逃げずにきちんと向き合うことが、
未来をじぶんで拓いていく、まず一歩なのだと思います。

逃げることを否定はしません。
けれど、恐怖に怯え続けるよりは、
受け容れてこころ穏やかに生きるか、
変えられるものとして、立ち向かっていくか、
そのどちらかの方が、人生はよりハッピーだと思います。

イデトモタカ(2014年10月19日)