<謙虚と遠慮。>

業界では著名なデザイナーさんが、
ある番組でいっていました。

じぶんの作りたいものを作るより、
求められるものを適確に作れるほうが
表現者として高級じゃないですか。

まったくもって正論なのだと思います。
作りたいものを作りたがっている
デザイナーやコピーライターやその他の表現者が
たくさんたくさんいますから。
そしておそらくは彼の周りにも、そういう人が、
掃いて捨てるほどいるのだと思います。

でもね、なんですよ。
仕事としてクリエイターや表現者
と呼ばれることをしている存在であるならば、
やっぱり彼の言うとおりで、
じぶんの作りたいものを作っていたら、
それは二流や三流なのだと思うのです。
けれども、自らが自らのパトロンとなり、
表現活動をやっている人にとっては、
「そんなこと言わないでくれ」なわけです。

ただの言い訳なのかもしれませんけれど、
あるときここではないところで書いている文章が、
どうにも需要がないのではないかと思って、
書くのをやめました。
求められているというよりは、
じぶんの書きたいの方が優先されているなと。
時間の使いかた等々の側面から見れば、
その判断はひじょうに合理的で
正しかったのだと思います。

けれど、ぼくの幸福感は下がった気がします。
人生の対する充足感や満足感もです。
それじゃあね、意味ないんですよね。
生きてるさ。

ぼくはじぶんのことをクリエイターだとか
表現者だとか、そういうたいそうなものだとは思いませんが、
でも書くことが好きな一人の人間として、
作りたいもの作らせてくれよ、構わずさ、
という気持ちは、なくならせなくていい気がします。

謙虚に生きるのと、遠慮して生きるのは、
「め」と「ぬ」くらい違いますぜ。

喰えないほうがマシ、そういう生きかたも、アリ。

イデトモタカ(2014年12月17日)