<電話の一喜一憂。>

馬鹿だとか、考え過ぎだと、
あなたは言うかもしれませんけれど、
相手のことを思うほどに、
それがどんな相手であろうと、
こちらから連絡することができなくなります。

電話というのは、それはもう一方的な手段です。
相手の時間を確実にいただきます。
歓んでくれる人もいたなら、
歓んではくれない人もいます。
それがわからないものですから、
どうしても遠ざかってしまいます。

用事は特にないという用事でも、
じぶんが話したいからだとか、
ただの時間つぶしだからとか、
声が無性に聞きたくなったからだとか、
なんとなく近況を知りたくなったからだとか、
何であれ無用の用があるのは、
紛れもなく電話をかけた側なわけなのです。

若い頃にはそんなことはお構いなしで、
じぶんの都合、じぶんの快楽で、
無闇矢鱈に電話をしていたわけですけれど、
一日ゝゝ年齢を重ねてゆくうちに、
妙な気遣いを憶えていくものです。

じぶん自身を思っても、電話があって、
嬉しいときと、嬉しくないときがあります。
嬉しい相手と、嬉しくない相手があります。
はたまた、嬉しい長さと、嬉しくない長さがあります。

一番良くないのは、嬉しいときに、嬉しい相手から
電話があったのにも関わらず、
それが嬉しい長さを超えていってしまったときです。
せっかくの嬉しいが、それだけで台無しです。

嬉しい相手、嬉しい時間、嬉しい長さ。

この三つが見事に揃うことなんて、
それこそ恋人たちや親友以外には、
それもそういうことについてきちんと話し合える
恋人たちや親友以外には、簡単ではないでしょう。

「気が合う」というところには、
そういったものへの感覚的近さも存分にありそうです。

イデトモタカ(2015年1月12日)