<英語力NG。>

ぼくがサンフランシスコに来る原因になった、
名古屋の社長が散歩中に興味深い話をしてくれました。

お客さんにとっても社員さんにとっても、
(ぼくから見ると)すごくいい会社を経営されていて、
着実に成長しながら、毎年十数名の新入社員さんを
積極的に採用されています。

会社に遊びに行くと、みんなすてきな方々で、
ホスピタリティの高さにいつも驚かされます。
電話も、誰が出てもとてもいい感じです。

興味深い話というのは、アメリカに来ているわけですし、
会話の流れで英語の話になったときに、

「うちでは帰国子女はOKだけれど、
一所懸命に英語を勉強(習得)した人は不採用なんだ」

と教えていただいたのです。
その基準には少しならず驚きました。
ふつうの頭で考えると、英語をがんばって習得した人は、
評価が高そうなもんです。
やる気があるし、持続力だって持っている。
それに加えて英語も使えるわけですから、
そうじゃないふつうの人よりも、価値が高そうに思います。
けれど、違うのだと。

理由を伺うと、いたってシンプルかつ納得でした。
英語を一所懸命勉強(習得)した人というのは、
やる気があるわけですけれど、
一方で英語が使えない、英語力を活かせない状況だと、
それをとても不満に思うのだそうです。
じぶんにはせっかくこうしたスキルがあるのに、
それを活かせずに、こんな誰にでもできそうな仕事なんて。
そういう愚痴や不満が出てくると。

ひきかえ帰国子女の人たちは、英語ができるということを
ただのツールとしか捉えていないので、いいのだと。
だってぼくらも「日本語を使って仕事をしたい!」なんて
わざわざ思ったりしませんものね。

ぼくにしても、せっかくコピーライティングや広告の力を
たくさん勉強してつけたのに、全然関係のない仕事だと、
愚痴や不平不満の一言でもいいたくなりますきっと。
もっとぼくの有効な使いみちはあるだろうと。
けれど、それは正直組織にとっては「毒」なんですね。

他の人にできないことをついしたくなりますけれど、
誰にでもできることを誰にもできないくらいにすることが、
どれほど価値の高いことなのかと、
もっと真剣に考えたいものだなあと思いました。

イデトモタカ(2015年3月6日)