<ライフ。>

お金も、地位も、年齢も、人間関係も、
みんな忘れてしまう瞬間がある。
その瞬間が時間となり、期間となり、
やがて人生全体となった人にとっては、
この世界は天国かもしれない。
場合によっては地獄かもしれないけれど、
自ら望んだ地獄なら、ま、悪くない。

お金や、地位や、年齢や、人間関係が、
気になって仕方がないというときは、
あんまりろくなことはない。
重要なことに集中していないときや、
人生の舵を誰かに委ねているときに、
ぼくらはそれらが気になってくる。

誰かのつくったゲームのなかに、
集中を求めるのもいいかもしれない。
誰かの書いた本のなかに、
集中を求めるのもいいかもしれない。
誰かの生み出した音楽のなかに、
絵画のなかに、映画のなかに、
テーマパークのなかに見つけてもいい。

けれど理想的なのは、それら絶対的な集中を
じぶんの人生のなかで発見することなのだ。
そしてあわよくば、その瞬間を維持することを、
仕事なり生活なりの中心に置くことなのだ。

それなりに暮らしていかないことには、
どうしようもないのも事実だけれど、
集中された世界のなかには「なにもない」のだ。
必要なものも不要なものも、ナッシング。
そこにはただ人生だけがある。

人生がしたい。
人生をしているときは、なにもいらない。
人生をしている瞬間は、なにものでもない。
人生のまっただ中にいる時間だけ、
ぼくはじぶんの人生を生きられるのだ。

人生がしたい。
死ぬまで人生がしたい。
いつなんどきも。

イデトモタカ(2015年6月18日)