<キクアイ。>

あなたは人の話を聞いていない。
あなたは私の話を聞いていない。
ちっとも。

聞いてくれたことがない。

ぼくは人の話を聞いている。
ぼくはあなたの話を聞いている。
いつも。

どちらかが嘘をついているのか。
そうとは思えない。

だとすると、主観としてのぼくがいくら
「話を聞いている」と主張したところで

大勢の近親者たちがぼくに対して
「話を聞いていない」と言うのなら

やはりぼくは聞いていないのだろう。
それが正しい評価だろう。

ぼくは話を聞いていると思っている。
けれど聞いていないと言われる。

といことは「話を聞く」ということの
感覚がまるで違うということになる。

そもそも人はなぜ話を聞いてほしいのか。

関心を持ってほしいから?
敬意を抱いてほしいから?
影響を受けてほしいから?
存在を認めてほしいから?

みんなぼくにどうしてほしいのだろう。
ぼくはこのまま偏屈な爺になるのだろうか。

ぼくは誰の話を聞いているのだろうか。
おそらくぼくは、ぼくの話を聞いているのだ。

頭のなかで、ひっきりなしにぼくが話すから
ひたすらそれを聞いているような気がする。

人の話をきちんと聞く人は人気がある。
それはつまり需要に対して供給が少ないからだ。

きっとぼくはあんまり人の話を聞く気がない。
知りたい答えはじぶんのなかにあるはずだからだ。

それで足りなければ本を読むからだ。

ただ、コミュニケーションとして
人の話は聞いたほうがいいらしい。

聞くことは愛することなのかもしれない。

だとすれば、ぼくはたくさんの人に愛されたけれど
まだ誰も愛したことがないのかもしれない。

人の話を聞く。
ただそれだけのこともできずに
ぼくは大人になってしまった。

イデトモタカ(2015年7月8日)