<不動峰。>

こころを強くするだとか
じぶんの芯をもつだとか
精神力を鍛えるだなんていうけれど
それってどういう意味かしらん。

逆を返せば人のこころは弱いのだ。
ふつうはじぶんに芯がないのだ。
精神力はてんで鍛えられていないのだ。

すぐに折れたり
あっちがいいなこっちがいいなとぶれたり
そういう状態からスタートするのだ。

人のこころはぐらぐらしている。
その場その場で移ろっていく。
状況や環境が違えば違う反応をする。
たぶんそれを減らそうということだ。

縁起でもないことだけど
ぼくがよくする喩え話がある。
明日不幸にも事故に遭って
片腕がなくなってしまったとする。

こころはなにもない。
体の一部が失われただけだ。
けれどぼくは五体満足だった今日までと
同じこころでいられるかというと自信がない。

なにかが微妙に違ってしまうはずだ。
良くも悪くも。
考えかたや価値観や優先順位やものの見方。
どこかがじわりと変わってしまうはずだ。

あるいは急に大きな借金を背負うことになり
ご飯もまともに食べられない生活になったとしても
ぼくのこころはなにかが変わってしまうだろう。
一切変化なしなんて自信は欠片もない。

でもつまりこころを強くするだとか
じぶんの芯をもつだとか
精神力を鍛えるということは
そういうものへの抵抗力をつける訓練なのだと思うのだ。

いつどんなことがあっても
壊れないじぶんをつくっておく。
実際にはどうなるかはわからないのだけれど
もしかしたら杞憂に終わっても備えておく。

たぶん昔はもっとずっとそのリスクが高かったから
じんわりと生活のなかで鍛えられていた気がする。
どうあってもこのままのぼくでいたいよね。
そう願うけれどできれば願うだけでなく。

イデトモタカ(2015年8月2日)