<生きろ。>

人非人でもいいじゃないの。
私たちは、生きていさえすればいいのよ。

太宰治の短編小説『ヴィヨンの妻』の最後は、
そういって締めくくられます。
はじめて読んだのは数年前でしたが、
そのときには深い意味はわからなかった気がします。

私たちは、生きていさえすればいいのよ。

そりゃあ、そうじゃないかと。
けれど最近になって、生きていくことを
ひどく面倒だと感じたり、大変だと悩んだり、
考えたり、落ち込んでしまったりしたときに、
じぶんの人間が弱いと生きていくことそのものを
つい否定的に捉えてしまいそうになります。

こんな人生なら、もういいじゃないかと。

けれど、そんなことはないんでね。
やっぱり、どうしようもなくても、みっともなくても、
「生きていさえすればいい」ということは、あります。
「生きていさえすればいい」ともし思えたなら、
最後の最後で踏みとどまるきっかけとなってくれます。

挑戦し続ける。
成功することよりも、成長することを中心とした視野を持つ。
ぼくが最近学んだことばかりですが、
それらは究極的に、生きていさえすればいいのよの一言に、
たどり着くような気がします。

人の役に立たない。
一所懸命やっているつもりでも目が出ない。
社会にとって必要ないんじゃないかと弱気になってしまう。

それでもいいのだと。
生きていさえすればいいのだと。

ぼくもね、そう思います。

イデトモタカ(2015年8月23日)