<問の非常識。>

子どもや学生は不自由だけれど、
オトナにはない特権もある。
そのなかのひとつに、
「質問に答えてもらいやすい」がある。
子どもや学生だからといって、
質問をすれば必ず答えてもらえるわけではないけれど、
答えてもらえる可能性はずっと高い。

もしかすると、ピンとこないかもしれない。
あるいは驚くかもしれない。
オトナになると、質問に答えてもらえないのかと。

そんなことはない。
オトナだって質問をするし、答えてもらえる。
けれど、質問をしたからといって、
答えてもらえないことも増える。
むしろぼくは、オトナになったら、
質問をしても答えてもらえない可能性というものを、
ぐっと高く見積もっておいた方がいいと思っている。

質問されると、答えるのが義務だと勘違いしている人もいる。
とんでもない。
答えるかどうかは、質問された側の自由だ。
嘘をついてもいいし、黙っていてもいい。
無視するのも勝手だ。
質問をしただけなのに、怒る人や、泣く人だっている。

質問をすれば、答えてもらえる。
質問をされれば、答えなければならない。

それは常識じゃない。

これもまた、ピンとこないかもしれないけれど、
答えがないこと、答えられないということを、
ひどくネガティブに感じる人もいる。
そういう人は、知ったかぶりをしたり、はぐらかしたり、
テキトウな思いつきをいったり、無視したり怒ったりする。

質問は、どんどん高度に、複雑になっていく。
答えのない問題ばかりがやってくる。

質問をすれば、答えてもらえる。
質問をされれば、答えなければならない。

それは常識じゃないのだ。

ではなんだのだといえば、気分だ。
そのときの気分で答えたり、答えなかったりする。
本当のことをいったり、嘘をついたりする。
そんなバカな、無茶苦茶だと思うかもしれない。

その認識は間違っていない。
無茶苦茶なオトナばかりなのだから。

イデトモタカ(2015年9月13日)