<無知とは。>

無知とは我執なのである。

内田樹さんの本を再読していたら、
そんなことばに出会いました。
ばっちり過去のじぶんが線を引いていましたが、
ばっちり忘れておりました。

曰く、無知とは「知らないこと」ではなくて、
今のじぶんから「変わろうとしないこと」なのだと。

つまり「今のじぶん」への執着や、
「変化するじぶん」に対する拒絶こそが、
じぶんを積極的に無知にさせているのだそうです。

なるほどまったく、反論の余地がありません。
驚きですが、無知とは怠惰の結果ではなくて、
非常に積極的な努力の結果だったのです。
わたしは変わらない、ぼくは変わりたくなり、
そういう鉄の防御のたまものなのでした。

言われてみると、憶えがあります。
今の時代特に、質や種類の違いはあっても、
それぞれにみんな膨大な量の情報に接しています。
検索すればすぐになにかが出てくる世界で、
「知らないことが無知」では無理があります。
あることについては知らないかもしれませんが、
それにしても調べればすぐに埋まる溝ばかりです。

では無知とはなにか。
やはり「知ろうとしないこと」なのでしょう。
じぶんに不都合な情報や、変化を強いる情報を
「受け容れようとしないこと」とも言えそうです。

今のじぶんに執着する態度、姿勢。
この我執こそが無知の根源なのであるとは、
いやはや、まいりました。

知らないことは恥ずかしくない。
変化を拒むことが問題なのだと。

イデトモタカ(2015年11月15日)