<忘れられる権利。>

フェイスブックのようなSNSサービスを
過去に利用していた人が、思うところがあって、
やっぱり「やめる」となったとき、
サービスの提供元に対して、
じぶんのデータを残さずに完全に削除してほしい
という旨の裁判があったそう。
海外でのことだ。

いまや一度でもインターネット上に掲載された
あらゆる情報を完全に消し去ることは、
容易ではなくなってきた。
どこかになにかしらが残ってしまう場合が多い。
データという完全なかたちではなくても、
なんというか、そこに存在した匂いのようなものは、
ぼくの勝手な思い込みかもしれないけれど、
漂っているような気がする。

裁判を起こした人たちの言い分はこうだ。
「わたしたちには<忘れられる権利>があるはずだ。」

死にたいんじゃない。
いなくなりたいだけ。

映画や小説かなにかに出てきたことばだったと思う。
ぼくにもその気もちは少しだけわかる。
共感できる、というよりも、
じぶんのなかにもそういう部分がある、
のほうがより正確な表現かもしれない。

ほんとうにぼくらに<忘れられる権利>なるものが
あるのかどうかは知らないし、わからない。
(裁判は勝訴して、原告の希望は叶えられたそうだけど。)
でもたしかに、じぶんがもう思い出したくない写真を、
ずっと壁に貼られているのは、いい気がしない。
剥がそうにも剥がせずに、他の人も見るのならなおさらに。

ぼくはこれまでに頻繁に携帯電話の番号を変えてきた。
死にたいんじゃなくて、いなくなりたいと思うときが、
一度や二度ではなくあったから。
生まれた街を離れてまったく知らない場所で
暮らしていこうと思うほどには、
お金も勇気もなかったけれど。

ぼくの文章がそうさせるのか、
ぼくの文体に引き寄せられるのか、
ここを見つけてわざわざ来る人は、
ぼくと似たような感性の人が多いような気がする。
あなたが変わっているのか、ぼくにはわからないけれど、
もしかするとぼくらは、忘れられたい者同士かもしれない。
あるいは、じぶんという存在を更新しつづけたい者同士、
かもしれない。

イデトモタカ(2016年1月02日)