<動かす力。>

ぼくは批判をわりと肯定的に
受けとっています。
肯定多数における一部の批判について
ですけれど。

批判の声というのは
いただくとインパクトがあります。
えらく耳にも頭にも残ります。
みんながそう思っていると勘違いするほど。

けれど実際には大半の人は
黙っています。
あなたが正しいと思うことをしているのなら
黙って見守ってくれています。

すべてに肯定的ではないとしても
だからといって否定的でもありません。
たまに声と勇気を出して
応援してくれる場合がほとんどです。

そんななかで少数いただく批判の声は
日の丸弁当の梅干しのように目立ちます。
白い米粒がどれだけ他を占めていようと
無視できない存在感を醸し出します。

あなたが一歩踏み込みごとに
批判の声や目は増えてていき
ことばも態度も強くなり
いっそう記憶に貼りつきます。

けれどぼくはこう考えることにしています。
ああ、(良くも悪くも)響いたのだと。

前提としてみんなじぶんのことに忙しいです。
じぶんと関係のないほとんどのものごとについて
基本的には関わらずに生きています。
あまり真剣に向き合わずに生きています。

そんななかで無視できなかったことが
批判になります。
あまりにポジティブだと呆れられるかもしれませんが
無視されないだけのメッセージだったのだと思います。

一番こわいのは肯定も批判もないことです。
肯定はたいてい声になりません。
批判があるときは一定の肯定層を超え
その外にまで届いているのだと考えていいはずです。

人のこころを動かすのは簡単ではありませんから。

イデトモタカ(2016年1月25日)