<分岐と交差。>

嫌いだと思っていた小説家の
最近の作品を読んでみると、
想像以上に面白くて、夢中になって、
いわば「好き」になってしまうことはある。
ある、だなんてことばだと、
珍しいことのように聞こえるけれど、
そういうことは、多々、起こる。

無論反対もある。
好きだ大好きだと思っていた小説家が
時間とともにだんだんつまらなく、
毒にも薬にもならないように思えてきて、
ついには「好きじゃない」と結論づける。
そういうことも、多々、起こる。

人は変わるのだ。
読み手のぼくが変わり、
書き手の彼(彼女)らもまた変わる。
だからこそ、好きだ嫌いだは、
ぐちゃぐちゃと為替のグラフのように
上下に揺れて揺れて定まらない。

仲の良い両親を目にしていると、
子どもとして幸福でありがたい反面、
彼らは人として変わっていないのだろうか、
と一瞬間思ってしまったりもする。
いや、変わりながらも、互いに、
手を離さない努力をしているのかもしれない。
その見えないなにかをぼくが見ることは
一度でもありはしなかったけれど。

きっとぼくの文章が好きではなくなった人も、
少なくはないだろう。
運命的な出会いだと興奮した出会いから、
つまらないありふれた存在の一人へと、
変化した人もいるだろう。
(そういう人はいま、この文章を
 幸か不幸か読んではいないわけだけれども。)

それでいいのだ、とぼくは思おう。
ぼくは変わっていく。
あなたも変わっていく。
彼も変わっていき、彼女も変わっていく。
それでも一緒にいようという相手とは、
手を取り合って多少の努力を互いに科す。
そういう関係だって、十分に、うつくしいのだ。

イデトモタカ(2016年5月24日)