<ことばの問題。>

ことばには「なにをいうか」と
「だれがいうか」があります。
これを分けて考えないことが、
ほんとうはいいのかもしれませんが、
人にとってそれは不可能の近い問題です。
同じことをいうにしても、
あの人がいうのと、この人がいうのでは、
まるで受けとり方が変わってしまいます。
印象が違ってしまいます。

ということは、ことばというものは、
含まれている意味のなかだけでなく、
その出処(発言者)によって重さが変化する
ということになります。
そしてことばの説得力というのは、
ことばの組み合わせや視点だけでなく、
出処(発言者)に対する印象に依存する
ということにもなります。

つまり、仮にことばに説得力がないとすれば、
それは意味だけの問題ではなく、
ぼくの(あたなの)存在に説得力がない、
ということになるのだろうと思われます。
これは大きなポイントです。

例えば、毎日遅刻をする人のいいわけと、
今まで一度も遅刻をしたことがない人のいいわけと、
内容が同じだったとしても、説得力は雲泥の差です。
そんなの当たり前じゃないか、
と思われるかもしれませんけれど、
「ことばの中身だけじゃない」という真実は、
けっこう重大な問題なのです。

ことばをうまく操れるようになりたい、
と思う人は少なくないようです。
漢字検定や日本語検定、敬語の使い方、
あらすじで読む日本文学、やくざの説得術、
いろいろな日本語やことばに関する指南書や
資格、能力を向上させるニーズがあります。
博識であるというのも、魅力に数えられます。

けれど、一番の問題は、人なのです。
ことば以上に、発言者(ぼくやあなた)が
どうであるかが、ことばの意味を決めます。
どれだけことばを重ねても、積み上げても、
それが相手に伝わるか、どう届くのかは、
どこまでいっても、ぼくや、あなた、です。

ことばを磨くということは、
人間を磨くことにほかなりません。

イデトモタカ(2016年8月6日)