<愛すべき他人。>

じぶんを他人だと思えたら、
もう少しなにか変わるだろうか。
この人が他人なら、けれどとても大切な、
そして愛おしく尊敬できる相手なら、
ぼくらのなにかは、あるいはなにもかもは、
どのように変わるだろうか。

まず、彼(彼女)にこれを食べさせるかだ。
じぶんなら食べてしまうだろうけれど、
彼にはあんまりおすすめじゃない。
健康的ではないことも、その後の生産性が下がるのも、
ぼくは知っているからだ。

あと、あまりにも不毛な時間を、
少しならともかく、長時間は過ごさせないかもしれない。
それは本人が望んでいることではなく、
ただ、深い意味もなくそうしていることを、
これまたぼくは知っているからだ。
だからそんなときには、ぼくは彼に、
こういう遊びや体験のほうがエネルギッシュだし、
楽しいよとすすめるだろう。

夜にもぼくは彼にアドバイスすることは多い。
これまでの人生経験から、夜更かししても、
日中に終わらせられなかったことは、
やっぱり終わらせられないからもう寝よう、
とやさしく諭すはずだ。
目的もなくネットサーフィンをし続けていたら、
明日を早く始めるために、やっぱり寝ようと誘うだろう。

あるいは、なにかに打ち込み、
そして挫折しそうになっているときには、
大丈夫だ、きっと上手くいくと、励ますはずだ。
なぜなら、重要なのは才能ではなく、
続けることだし、熱心に向き合い続けることだとも
ぼくは知っているからだ。

じぶんを他人のように感じ、扱い、
生きていくことは、実際的にはむずかしい。
けれど、ぼくがぼくを、あなたがあなたを、
それこそ大親友や恋人や尊敬する先生のように接し、
彼らにそうするのと同じように過せたなら、
ぼくもあなたも、きっと、もっとうれしい。

イデトモタカ(2017年4月4日)