<欲求とボストンバッグ。>

【ケース1】
じぶんはなにものなのか。
なにをして生きたくて、なにが欲しいのか。
その欲求を、衝動を、みたすために、
実現するためにほんとうに必要な荷物は、
ちょっと大きめの鞄一つに、
それこそボストンバッグに
充分入りきるんじゃないかろうか。
また買えるものは、どこにいったって、
いるときがきたらまた買えばいい。
もう買えないんじゃないかってものは、
安定に居座らないように、
チャンスとリスクに飛び込んでいけるように、
腰が重たくならいない程度の量を、
吟味して鞄につめていけばいいと思う。
そう考えれば、いつゼロになっても、
その荷物さえ死守していれば、
他のものはぜんぶなくなったとしても、
いいんじゃない?

【ケース2】
生きるために必死になってるわけじゃない。
つまり、人生を豊かにするものは、本来、
人生にまったく必要のないものだ。
日本刀も、ペルシャ絨毯も、シャンデリアも、
ドン・ペリニヨンも。
なくたってまったくかまわない、困らない。
けれど、その余分なものが、
人生を豊かにする肥料になる。
日本刀も、ペルシャ絨毯も、シャンデリアも、
ドン・ペリニヨンも、ものそれの役割以上に、
たんに所有することに、
たんに消費することに、
そこに、意味がある。
それはときに彩りとよばれ、愛される。
つまり、愛すべき人生になる。

ぼくはよくこのふたつについて考えます。
矛盾してるじゃないか、という人もいれば、
そうなんだよね、という人もいます。
ぼくの実感としては、大切なことはたいてい
矛盾の要素をはらんでいることが多いです。
それを当然としてお腹におとせるときが、
それぞれふと訪れると思うのです。
そしてその時々を、成長と呼んでいる気がします。

イデトモタカ(2010年12月05日)