<気もちのいい罪。>

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 デザイン家具も使い心地は悪いし、
フェラーリも乗り心地はよくないし
エンジン音がうるさい。
だが、(中略)欠点がまったくなく、
なんら精神性を感じられない製品というのは、
「何も知らない人たち」のためのものなのだ。

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これはきのう読んでいた本に登場した一節で、
とてもぼくのこころに届いたものです。
J.N.カプフェレとV.バスティアンの共著なのですが、
まったく、どきっとする表現です。

彼らは、高級料理をつくるために
もっとも必要なものは、最高の食材でもなく、
最高の料理人でもなく、最高の美食家だといいます。
消費されてはじめて、生産は完了する、と。

貴族のような選ばれた人たちだけじゃなく、
みんながおなじように「いいもの」を
持てる時代になりました。
この国でUNIQLOや無印良品が果たした功績は偉大です。
でもそれらの製品に、情動を揺さぶるような
神秘的な霊気(オーラ)があるかといわれれば、ないです。
ただただ、シンプルで、スマートで、いいものです。
そこに価値があり、そこに価値を感じることも、
また、価値観としてすばらしいと思います。
そういう方々を、ぼくは「何も知らない人たち」と
言い切る気迫をもってはいませんが、
個人的に「知っている」側に惹かれるんです、ただそれだけ。

冒頭の文章、人によってはイラっとするでしょうね。
ぼくは、どきっとしましたけれど。
そしてぼくは、やっぱり、デザイン家具や、
フェラーリの方が、なんだか好きなタイプです。
人でも、そうで、長所も、欠点も、ある人に惹かれます。
「知っている(知ってしまっている)」というのは、
気もちのいい、罪のような気がします。

イデトモタカ(2011年4月24日)