<枯れない泉により添う。>

毎日こうしてことばをだしてると、
いつかことばの泉が枯れてしまって、
もうなにもでてこなくなるんじゃないか、
なんて思ったりもしそうなものだけど、
じっさいは、そんなことはぜんぜんない。
2つの意味で、ぜんぜんない。
あたらしいことばは毎日でてくるし、
そういう不安もまず、こころに浮かばない。

音楽をつくってる人も、
絵を描いている人も、
それを知っていると思う。
もし枯れてしまうようなことがあれば、
それは無理をしていたんだろう。

ある脳科学者がいっていた。
「創造性とは、経験と意欲のかけ算だ」って。
だから、もしあなたの大切な泉から、
湧きでてくるものがなくなったときは、
それはあなたがもうそんなに、
その水を汲んでなにかをしたいと
思わなくなったときなのだ。

水が泉から湧きでることと、その水の「よしあし」は、
それぞれ別の法則にのっとっているのだ。
これをいっしょくたに考えるのは、きっとよくない。
いい水が湧きでてこないのと、
そもそも水が湧きでてこないのとでは、
トイレの水が流れないのと、
そもそも水を流すボタンがないことくらいに、
べつの問題なのだと思う。

愛されたいとか、認められたいとか、
喜ばれたいとか、役に立ちたいとか、
ただただ表現したいとか、そういう思いがあるかぎり、
泉は枯れずにあなたをうるおすはずなのだ。
水のよしあしは別にして、
そのチャンスはくれるものなのだ。

イデトモタカ(2011年6月3日)