no.2 『ライフスタイル系』 著:浜野安宏(1) cart

一 節

大きなプロジェクトになればなるほど、
個人が必要であり、
一人の人間が狂気に近い情熱で生み出したものに、
人は感動するのである。
効率から生まれたものに人は感動しない。

感想文

いま、ぼくらが一般に「効率」や「効率化」
というふうに呼んでいるものは、
無駄を削ぎ落とし、不必要なことはせず、
「より良くしよう」ということがテーマの、
ひとつの思想なのだと思います。
考えること、工夫すること、修正することを怠らず、
働きかけに対する成果の最大化を目指す。
その思想はあらゆるものに対して適応され、
「効率がわるい」ことは、一種の「悪」と
みなされてしまう状況は多いような気がします。

では、なぜそれほどに「効率」を求めるのか、
といえば、その行き着く先に存在するのは
「よりより人生」なのではないかと思うのです。
効率よく仕事をして、できた時間で好きなことをする。
効率よく働いて、少ない時間でより多くのお金を得る。
でもそれは、なんのために?
と訊かれれば、よりよい人生にするため、
なのではないかしらん。
資源の利用などについても同様で、
今のよい世界を維持するために効率が求められています。
そしてここに、ある矛盾が生じます。

ぼくらは面倒なこと、
できればやりたくないことには効率を求めますが、
好きなこと、たのしみなことは効率の外に置きます。
移動が面倒で嫌いな人にとっては、
できるだけ効率的に目的地に着くことが望みですが、
電車や車が好きな人は、わざわざ遠回りしたりします。
あるいは飲食のチェーン店は効率的に料理を出しますが、
ぼくらは好きな食べものを効率的に食べたいとは思いません。

また、人はじぶん自身が効率的に扱われると、腹が立ちます。
感情のない機械じゃないんだぞ、と怒ります。
先の飲食店の例にしても、機械的、事務的につくられ、
運ばれてきた料理に、ぼくらは決して感動しません。
あるいはちょっとお喋りしようと電話をしたのに、
挨拶も抜きに「要件は?」といわれると、
途端にさめてしまいます。

では反対に、ぼくらはどんなものに「感動」を覚えるのか。
その答えのヒントがやはり、冒頭のことばだと思うのです。
つまり「一人の人間が狂気に近い情熱で生み出したもの」。
それはある意味で「効率」の対極をいきます。
効率化を求めることを、ぼくはわるいことだとは思いません。
だれにしても、よりよい人生を求めるわけですから。
けれど、意図しようがしまいが、
だれかを感動させようと思うのであれば、
そこに必要なのは「効率」ではなく「情熱」なのでした。

奇妙な言い回しになりますが、
「効率に逃げない」ということも、
現在の産業、仕事の大きなテーマなのだと感じさせてもらえた、
ぼくにとってとても意義深い一節です。

イデトモタカ(2013年2月26日)

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