no.6 『偽善エコロジー』 著:武田邦彦(2) cart

一 節

日本人は、日本語で言ってもらうと
正確に言葉を理解することができるのですが、
英語で言われると本来の目的や意味が
あいまいになります。

感想文

エコロジーだとか、クリーンだとか、
リデュースだとか、リユースだとか、
シェアだとかクラウドだとかレバレッジだとか、
カタカナ語はなんだか「それっぽく」聞こえます。
そしてそれを聞いた人の思考をぼやっとさせて、
じぶんの考えを一枚挟んでみるという
「判断の濾過作業」をさせなくします。
それはつまり、洞察力が落ちるということで、
反対から見れば洞察力を落とさせている、
ということになるのではないかと思います。

じぶん自身の発言を振り返ってみても、
わざと英語(カタカナ語)でいっているときは、
たしかに「都合のいい曖昧さ」を期待して
話しているところがあることを認めたいと思います。
具合のよくない部分をほじくられないように、
うまく見逃してもらえるように、
じぶん自身が雰囲気でしかわかっていなことば、
つまり英語やカタカナ語でもっていえば、
相手も「なんとなく」の理解でやり過してくれて、
なんというのか、その場がある種お互いに
「穏便に」おさまることを願っている節がある気がします。
よく日本人の美徳は調和を重んじてといわれますが、
ここまでくると、ただの「わるい癖」に思います。

でも反対に、英語やカタカナ語だからこそのよさ、
つまり「なんとなく」な感じが、直球じゃないことが、
ありがたい場合もあるものです。
キスやチューはかわいいですが、接吻はちょっと重たいです。
ハグならできそうですが、抱擁はご遠慮願いたかったりね。
あ、けれどもこれも、それを求める側が、
日本語だと必要以上に意味が伝わり過ぎてしまうので、
そこを曖昧にするために、やわらかくする戦法として、
使っているのだといえば、同じことですね。
判断力が鈍るというか、浅くさせるのではないかしらん。
すべてを否定はしませんけれど。

ロハスですしエコなんで、セーフですよ。
できるだけピースフルに解決しますから。
こっちのカラーの方がユーザーにアプローチできますよ。
少しプライスはアップしますが、その分リターンも大きいです。
このベネフィットはクライアントのニーズを満たします。
・・・・とりあえずそういうことばを使う人には、
信用するまえに「日本語でお願いします」といってみましょうか。
そうでなければ、一度全部のカタカナ語を日本語に変換して、
じぶんの「思考」という関所を通す、
判断の濾過作業をきちんと行うということが、
ぼくはあらゆる場面だ大事なのではないかと思います。
相手がそういう曖昧なことばを使う背景には、
じぶんは仕事ができるとただ勘違いしている人でなければ、
あなたに「なにか」を曖昧にしようとしている人ですから。

英語やカタカナ語の方が意味がわかりやすい、
ニュアンスが伝わりやすい場合も当然ありますし、
ぼく自身、書きことばとしてわざわざそれを選ぶ
ということもします。
けれど、少しだけ、注意してみようかなと思います。
日本語ではいえないのかなと、その努力を怠らないように
気をつけてみたいと思います。
わざとミスコミュニケーションを願うコミュニケーションなんて、
やっぱりヒューマンとしてグレートではないというか、
バッドなスタンスじゃないかとミーなんかはシンクしますからさ。

イデトモタカ(2013年3月20日)

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