no.9 『インターネット的』 著:糸井重里(2) cart

一 節

現在の市場の動向というものは、
「消費する時間をたっぷり持っている」
比較的ヒマな人々からの発信に偏っています。
(中略)
仕事をしている人は、時間に貧乏しているのですから、
時間にリッチな人々の後をついていくしかないのですね。

感想文

「流れ」というものがいかに生まれるのか、
ということを考えるにあたって、
小学生のときのプールの時間を思い出しました。

なぜか実際の季節ではなく一年の工程に従って
体育の授業のなかに「水泳」が組み込まれているものだから、
毎年たいていまだ寒いだろうという時期から始まり、
いやいや、むちゃくちゃ暑いじゃないですか、
という頃には既に終わっているプールの時間。
なんだかんだ言いながら、ぼくは人並みには泳げたこともあり
そんな初夏の肌寒いプールの時間が好きでした。

基本的には「泳ぎ」を授業として習うわけなのですが、
何回かに一度は「遊び」の時間もとってくれていて、
特に「うずまき」だか「洗濯機」だかという名前の
生徒みんなが同じ方向にぐるぐると練り歩き、
バケツの水を腕でかき回したように、
プール全体が洗濯機のような渦をまき、
それにけらけらと身を任せて流されたり逆らってみるけど
ダメだ流されるーみたいな遊びが、大変に人気でした。

あそこで生まれた「大きな渦」を流行、
プール全体を「社会生活」と見立てて考えてみると、
まず先生という外野に立っている人が提案します。
みんなで時計周りに回ったらどうか、と。
これが「広告」です。
その声に気づき、そして「いい案だ」と思った人は
言われたとおりにしてみます。
けれど、じぶんなりの遊び(生活)に夢中の人は
そんな提案には気づかずに別のことをしています。
つまり、ある程度「ヒマ」で面白そうなことを探している人から
広告を受けとっていくことになります。
もちろんこのとき、提案がつまらなそうであれば
容赦なく却下されます。

広告(提案)にのった一人、あるいは数人が
実際にそれを行動に移し、ぐるぐると歩き出します。
するとその光景を見た人たちが、たのしそうだと思えば
それに倣い、またその人たちを見た次の人たちも倣い始めます。
このときに重要なのは「期待」と「わくわく感」です。
ここまで来ると、もう視界に入れないほうが困難になってきて、
とうとう無視できない「流れ」が生まれます。
ここで、実際のパフォーマンス、つまり参加した結果が
じぶんの期待にかなっておもしろかったなら、
噂が噂を呼び、その流れはどんどんと拡大していきます。

けれど、現実には社会全体をおなじ方向に動かすことは
なかなか出来ることではありませんので、
至るとこで小さな渦が起こったり消えたりしている感じです。
けれどその渦を起こすのはいつでも、
それは広告が関わっていようが、誰かの思いつきであろうが、
一人あるいは数人が「思い描くよりハッピーな未来」に基づいて
ある方向に動き出し、それを見た人たちが賛同すれば倣い、
期待とわくわく感を持って得られた結果に満足できたなら、
その渦は維持されて更に人目につく機会を増やしていきます。
そしてこの渦の中心人物になることも、
まだ小さい渦を見つけることも、初期の渦に参加することも、
入ってみた渦のどれが「いい」のかを見極めることも、
ある程度時間に余裕がなければできません。
時間がない人は、ある程度大きくなった渦しか見つけられず、
あとはそれに参加するかしないか、になってしまいます。

冒頭のことば(一節)とは違う話になってしまいましたが、
そういったことを考えるきっかけをいただきました。

イデトモタカ(2013年4月11日)

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