no.10 『悪人正機』 著:吉本隆明/糸井重里(3) cart

一 節

実際にそこの場所に行ってみたら、
いっぺんにわかることかもしれないんですけど、
ただ、実際に行くとかえって「重さ」が
わからなくなるっていいますか、
目の前にあるもんだから、
つい、重く見えちゃうみたいなことがあって、
情報の見方が狂うこともありますからね。

感想文

人は「正しさ」によって生きているわけではないので、
常に正しい選択や、正しい判断をしなければならない、
というものでもないと思います。
けれど、誤判断や勘違い、事実とは異なる思い込みは
なにかしらの「不幸」につながる可能性があるので、
できることなら避けたいものです。
そういうときに、この冒頭の一節は、
非常に示唆深くて、憶えておいて損はないと思います。

失業率にせよ、円安にせよ、震災にせよ、
あらゆる事象の「重さ」というものは、
それぞれの実感に委ねられるものです。
もちろん渦中にいる人が、どしんともろにその重さを
肌で感じて、これは大変だとなるわけですが、
じぶん以外の人、他の人も同じように感じているのか、
まったく一緒ではないとしても、
体感にどれくらいの差が存在するのか。
5と7くらいの差なのか。
それとも10と100くらいの差なのか。
それを正確に知ることは、とてもむつかしいことです。

例えば外国に工場を持っている会社の人が、
その国で反日デモが起きたということを
ニュースで知ったとします。
それを観て「これは20くらい大変だ」と思ったけれど、
実際に現地に入ってみると、とんでもない、
「これは90くらい大変だ」と思い直したとします。
けれど、それが「現地」にいるから、その場で体感しているから、
だから「正しい(正確)」かといえば、
そうとも言い切れないぞ、と吉本さん(筆者)はいっています。
これは、とても見落とされがちなことで、
かつ、極めて重要な視点だとぼくには思えました。

では、どうすればいいのだ、と考えれば、
ぼくとしては「一方的に」判断をしない、
ということになるのだと解釈しています。
「現在」と同時に「過去」を見る目を持ち、
右手で「当事者」の体温をはかりながら、
左手で「第三者」の体温をはかる。
そうやって「寄り」と「引き」をじぶんで意識的につくる。
つまりそれが大事なのではないかな、と。

これは「じぶんのこと」にしても当てはまります。
じぶんの直接の問題、恋でも、金欠でも、親のことでも、
どれにしても当事者なので、必要以上に「重く」考えて
必要以上に苦しくなってしまうこともあります。
けれどそのときも、じぶんではない人の目で見れたなら、
そしてその体温、あるいは重さの差を評価できたなら、
いくぶん救われるところがあるのではないかと思うのです。

あらゆる本や人がいうように、
「現場」を知ることは重要です。
けれど、そこに偏り過ぎてしまっても、誤ることがある、
ということを知っておくのは、
劣らず大切なのことなのだと教わった一節です。

イデトモタカ(2013年5月1日)

一つ前のページへ戻る