no.12 『おやすみプンプン』 著:浅野いにお(1) cart

一 節

罪を背負った人間が
本当に必要なものは罰じゃなくて、
許される苦しみを知ること
なんじゃないかって思うんです。

感想文

作中で不倫をした男性が、港へ向う途中、
身の上話をしたタクシーの運転手から言われたセリフです。

いっそひどく咎められて、感情のままに罵られる方が
どれだけマシだろう。
というようなことばや表現は、
これまでにも様々な映画や小説でもありました。

人生経験が今よりもっと少ない時分には、
なんとなく「そうなんだろうな」と思っていましたが、
あらためてこのことについて考えてみることにしました。
その結果、ぼくが考え至った先というのは、

「人はじぶんの犯した罪を、
 許されたいより忘れ去りたい(忘れ去られたい)のだ。」

ということでした。
つまり、冒頭のセリフの意味するところというのは、

「許されるということは、
 じぶんとじぶんを許した相手との関係性が続くということで
 その罪から逃れられない。」

ということが含まれているのではないかと想いました。
もし仮に、反対に許されなければどうなるかといえば、
一つは罵声を浴びせられるがままに、
じぶんも「悲劇の人」という役に酔うことができます。
ある意味でじぶんではない何者かとしての殻をかぶって、
事実のじぶんと距離を置いて過すことができます。

あるいはもう一つには、
その罪によって拒絶され、見放されてしまったならば、
じぶんもその罪とその相手を、
いつしか風化させてしまうことができるかもしれません。
忘れて、忘れられるという。
そういう浅い希望が生まれます。

けれど、許されてしまったならば、
正式な素のじぶんとして、
その負い目を感じつづけることになります。
傷口を直視、凝視することになります。
ある種、受け容れられるということは、
拒否されるよりも生々しいことだともいえそうです。

人は誰しも、多かれ少なかれ、
いろいろなことから目をそらして生きているのだと思います。
そしてそれを「忘れたい」イキモノのなのだけれど、
「許される」ということは、その機会を奪われること、
なのかもしれないです。

人が最も反省するのは、激怒されるときでなく、
泣きながら許されるときなのだろうと思います。

イデトモタカ(2013年6月3日)

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