no.14 『悪人正機』 著:吉本隆明/糸井重里(5) cart

一 節

ガマンをして結婚生活が壊れなかったというのは、
別に立派なことでもなんでもありません。
(中略)
間違った選択だったと、しまったと思った時に
ガマンして耐え忍んでやっていくというのは
「ひとつのやり方」にしかすぎないわけですから。

感想文

時代が進むにつれて、離婚率の増加というものが
社会的な問題のようにとりあげられます。
特に先進国になればなるほど、
その確率はずいぶんと高くなっているようです。
この現実は確かに「問題」のように見えますが、
では具体的には何が問題なのだというと、
ぼくにはよくわからなかったりします。
もしそれを「人間性」として問題と
捉えた議論がなされているのであるとすれば、
それは違うんじゃないかという気がします。

人間のもつ「変わらない部分」、
普遍的な人間性というものはそうそう簡単に、
それこそ数十年や数百年なんて短い期間で
移ろうものでは到底ないものです。
極論、人間が人間になったそのときから、
変わっていないからこその人間性ともいえます。
では何が「変わる部分」なのかといえば、
それは価値観と文化です。
これは場所でも時代でも容易に変わります。

先日、ぼくの親しい友人の友人が
お金の問題を抱えて自殺をしました。
これはとても哀しいことでした。
生きている身としては、死ぬことないのに、
と当然思ってしまうのですが、
彼にとってはそうではなかったのです。
では彼を死に至らしめたのは何か。
それは「お金」ではありません。
おそらくは「文化」であり「社会」です。
より厳密には彼の解釈した文化や社会です。

人はじぶんの価値観を基軸に生きている
と思ってしまうのですが、
実際にはじぶんのこころよりも
じぶんの属する文化をベースに生きています。
今現在身をおいている文化の基準として
考え、判断し、行動しているものです。
ぼくだってそうです。
なにせ「考える材料」そのものが、
いま周りに存在する環境から手に入れるほか
ないわけですから。

そう考えると、冒頭の離婚に関する問題も、
社会が未発達であればあるほど、
個々の価値観はより「文化」の影響を強く受けて、
文化に従って生きるという選択をしやすい、
ということだったのではないかと思うのです。
つまり、戦前だろうが、明治時代だろうが、
離婚したい人の数はそう変わらなかったとしても、
それを許容する文化じゃなかった、なのだと。
だからといって、昔のほうが、あるいは今のほうが、
絶対的に「いい時代」だなんてことは言えないですが、
そういうものだということでいいんじゃないかと思います。

間違った選択だったと、しまったと思った時に
ガマンして耐え忍んでやっていくというのは
「ひとつのやり方」にしかすぎないわけですから。

戦中派の吉本さんがこのことばを言えるのは、
やっぱりすごいなぁと思います。

イデトモタカ(2013年7月5日)

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