no.18 『無趣味のすすめ』 著:村上龍(1) cart

一 節

一人でも充分にやっていける人同士が
信頼とビジョンを共有することで、
初めて理想的なパートナーとしての一歩を
踏み出すことができるのだ。

感想文

ぼくは学生時代はまったくと言っていいほど
異性とお付き合いすることなく過したのですけれど、
その根底にはこの感覚があったような気がします。
学生というのは社会から守られている存在ですが、
それはつまり一人ではやっていけない存在
ということでもあります。
学生の時分からきちんと自立している人もいますし、
それはとてもすごいことだなと尊敬しますが、
ぼくはそういうものではなく、ふつうの、
守られた存在としてぬるく過していました。
当時のぼくの周りにいた女性にしても、
大半以上がそうだったと思います。
そんな人同士が関係を深く持ったとしても、
ぼくの価値観では「脆すぎる」と思っていたようです。
実際に、好きな人ができたときには、
そのときは大学生のときでしたが、
必死にがんばりましたもんね、
一人でも充分やっていける存在にならんとして。

けれどこれはぼくの話です。
ぼくの(おそらくは)古臭い価値観です。
だからこそ、勝手かもしれませんけれど、
若者よ、恋をしろ!
学生よ、恋をしろ!
と思います。
それは本心で、まったくの偽りなく言いたいことです。
だって、恋以上に人間が成長することはないでしょう。
そして真剣に恋をしてぶち当たればいいのです、
「甲斐性のないじぶん」という存在に。
それが人を強くさせるのでしょうからさ。

極端なことを言いますが、
恋というのは先着順ではないですし、
もっといい人が現れる可能性はいくでもありますし、
この人だと思っていたけれど、やっぱり違う、
こんな人だとは知らなかった、なんてことも、
長いこと生きていれば、これだけの人が生きていれば、
あるでしょう、それは。
そしてそのときは、またやり直せばいいわけです。
何度でもやり直せばいいわけです。

とはいえ恋愛至上主義ではないですからね、
子どものことや、生活のことや、環境のことや、
いろんなことを考慮して、少々ややこしい考え事をして、
それでもやっぱり、というのであればという話です。
ただそのときに、男性にしても、女性にしても、
一人でも充分にやっていける存在なのか、
ということが重要に思われるのです。
手に職をつけろとか、資産を築けとか、
子育て中でも働いたほうがいいとか、
そういうことではなく、ただ、一人でも大丈夫なのか、
不安はないのかということが、
究極的にじぶんの「自信」なのだということです。

悲しく響くといけないですが、
失って困るものがないという人が、もっとも自由です。
愛していても、共に生きていくとしても。

イデトモタカ(2013年8月3日)

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