no.20 『ダンディズム』 著:落合正勝(1) cart

一 節

ひとつは「服」と「服装」を混同しないことだ。
服はただのモノに過ぎず、店先に並べられた
肉や野菜と同じレベルだと考える。

感想文

ぼくは料理をしないうえ、あまり肉を食べないので、
素材だけで「これ美味しそうだなぁ!」とは
なかなかなることはないのですけれど、
服や家具や装飾品などに関しては、
ただモノとして「いいなぁ!」とはよく思います。

けれど、それらはあくまで素材なんですよね。
調理して美味しいとは限りません。
なにより、じぶんがうまく調理できるかは、
まったく別の問題になってきます。
だからこそ、その腕前を磨くことは、意味のあることで、
どんな分野においても、向上心というものは、
すなわちその意欲に表れるのではないかと思うのです。

料理にしても、ファッションにしても、
経営にしても、ことばにしても、
みんなおなじことが言える気がします。

いろいろな個性のある素材を上手に組み合わせて、
それらが単体で存在しているときよりも、
より良い結果を生み出す。

つまり、限られた材料でおいしい料理をつくる。
肉体と予算と環境という限られた状況で、
モノである服をじぶんの魅力を引き出す装いにする。
癖のある誰一人として完璧ではない人たちで、
よそには真似できない特性を強みにした組織をつくる。
ただの音の集まりで、できるだけ正確に、
今の想いをじぶんらしく誰かに伝える。

大人はよく手に職をつけなさいというけれど、
それは資格名のある技術だけの話ではなく、
こういった、素材を組み合わせて価値を生むということが、
より大きな意味で「職」なのではないかという気がします。
あとは、じぶんがどんな「素材」を扱うかでしょう。

じぶんという素材だけでは、あまり価値を認められなくとも、
もし誰かと一緒になって料理になれたなら、
いなくてはならない存在になる。
そういうことは、いくらでもあるものです。

素材を磨く、素材を見る目を養う。
これは前提ですけれど、
それらを調理する力をどれだけ鍛え上げられるのか。
世間はそれを「人間力」と呼ぶのではないかしらん。

筆者はたぶん冒頭のことばから、
想像力を持てという話を展開していたと思うのですけれど、
ぜんぜん違う感想になっちゃいました。

イデトモタカ(2013年10月3日)

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