no.23 『媚びない人生』 著:ジョン・キム(1) cart

一 節

話したいことがはっきりしていないときは、
人間は沈黙すべきである。
話したい内容がないときは、話し始めてはいけない。

感想文

ストイックな意見だとは思うけれど、
たしかにそうだとも感じます。
話の長い人(特に年長者)は、あまり好かれません。
それがおもしろければいいのだけれど、
あるいはこちらが訊いたことに対する
返答である分には、いっこうに構わないのだけれど、
着地点なく話し始めたことを正当化するために、
話しつづけられると、聞いている方は疲弊してしまいます。

最近よく思うのです。
電話というものは、本当に厄介だと。
あんなに無神経で失礼なものはない、
と言ってしまうと、電話する側になったときの
じぶんの肩身が狭すぎるので困るとはいえ、
本音としては、そう思っていなくもありません。

ぼくの場合がそうなのだから、
他の人も似たようなものではないかと思っているのですが、
電話は基本的に「する側」に用事があるものです。
電話をかける側に、聞きたい事や、教えてほしい事や、
確認したい事、お願い事、頼み事があるわけです。
もっと甘い、ただ声が聞きたいという場合であっても、
要はじぶんの人生をよりハッピーにするために
かけられるものでございます。

これは、受け手としては、たまったものではありません。
電話の着信というものは、
どうしてあんなにも「緊急感」が漂っているのかしらん。
出なければ罰せられるかのごとく、
多くの人が最優先事項として取り上げます。
冷静に考えてみれば、受け手側は用事がないのに。
電話の向こうの、相手の要件に応えるために、
すべての「やること」の手を止められる。
そして、貴重な時間とエネルギーを奪われてしまう。

嗚呼、こんなことを書くと、
もう誰もぼくに電話をかけてこなくなるかもしれませんけれど、
電話というものは、そういう、誰をも傍若無人にし、
友人の人生に乱入する恐ろしい兵器なのです。
(もちろん、じぶんを幸福にする報せもあるけれど)

人生は短い。
だれもがそう言うのに、電話に出なければ怒る。
じぶんが相手の人生を減らしているという自覚もなしに。

話が長い、だらだらと結論とは無関係なことを話す、
それは、話を長く聞かせている、どうでもいいことを
相手にずっと聞かせているということで、
貴重な人生時間とエネルギーを攫っているのだということを、
ぼくはじぶん自身もっと自覚しようと思います。

過去の世界を実際に見てはいないので、
半分以上は想像になってしまいますけれど、
文明が発展するにつれ、人間社会から「沈黙」が
減っていっているような気がします。
それは「自然」とおなじように、なにかを犠牲にして、
失われっているように思われるのです。
けれどまた、それは自然と同様に、大切で、
守らなければいけないものではないかしらん。


【追記:電話について】
とはいえね、積極的に奪いにかからなければ、
得られないものもあるということもまた、事実なのでして。

イデトモタカ(2013年10月21日)

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