no.26 『自己プロデュース力』 著:島田紳助(1) cart

一 節

僕がまずしたのは「教科書」をつくることでした。
漫才には教科書がない。
だからこそ、僕は十八歳でこの世界に入った時、
自分で教科書をつくろうと思ったんです。

感想文

これは、あらゆる優秀な人が
ずっと隠していた一つの秘密ではないかと思います。
どんな業界でも、特に、教科書がないようなところで
頭ひとつ飛び抜けている人はほとんどみんな、
これに近いことをしてるはずです。
感覚としてつかんだことを、
確実に蓄積していくような人は
天才肌と呼ばれたりするのでしょうが、
凡才肌にとっては、これがベストな方法だというは
疑いようのないことに思われます。

じぶんでつくる教科書と、
義務教育のときに学校で使っていた教科書の
大きな差はどこにあるのかといえば、
それはぼくは「何度も読み返すこと」と、
「実践のなかで修正していくこと」だとにらんでおります。
つまり「教科書が生きている」ことに強みがあります。
余談になりますが、あらゆる意味で「呼吸」がないものは
死んでいるといえて、そこにはパワーが生まれません。

教科書といいながらも実際には研究ノートなわけですから、
日々追加したり削除したり読み返したりします。
仮に中学校ときに歴史の教科書を百回通読したなら、
そりゃあもう、だいたいのことはわかるでしょう。
けれど、そんなことをする人はふつうはいません。
まして教科書の内容を実際に即して書き直すこともないです。
でも、研究ノート(マイ教科書)ではできます。
そしてそこにじぶんにとって有意義なこと、
生活に直結することが書いてあったとするならば、
それはもう、実力がつきますよ。
その上に仮説検証までするわけですからね。
誰かのつくった教科書では、なかなかそこまで学べません。

ぼくの例でいえば、洋裁に夢中になっていたときに、
同じことをしていました。
じぶんにとって最高のデニムをつくるための教科書を
一生懸命そういえば作っていました。
パターンの引き方から、効率的な縫製の順番、
間違いやすい部分、注意しなければいけないところ、
前回の反省点と課題。
その結果といえば、やっぱりデニムだけに関しては
めきめきと実力がつきました。

こういったことは、なにも専門家や何かのプロといった
特殊な状況の人にだけ言えることではないと思っています。
人間として、じぶんとして「生きる」ということについての
教科書が、本来的には一番重要な智恵なわけですから。
ただ、どれだけ多くのことを発見しても、学んでも、
それが無意識にできるようにならなければ、
モノになったとはいえないことも事実です。
一つのことを完全に習得するからこそ、
次の大切なことに意識を向けて学べますものね。

はじめのうちはチェック表として機能して、
それらがそのうち無意識にできるようになってきたなら、
また次のレベルのチェック表にうつっていく。
そうやって成長しているのが、天才っぽい人たちの
ほんとのところではないかしらんと思います。

イデトモタカ(2013年11月7日)

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