no.32 『早わかり文学史』 著:出口汪(1) cart

一 節

そもそも講義とは物語ることであって、
物語るとは、個々の出来事にありもしない
一定の筋をつけることである。
それがたとえ個人の歴史観によるものであっても、
そのことで見えてくるものがたくさんあるのも事実なのだ。

感想文

ぼくはたまに講演といいますか、
講義めいたことを人前でさせていただきますが、
そのときに苦心することというのは、
端的にいえば「文脈づくり」です。

それは伝えたい出来事や事実、アイディアや発見を
一つの物語にのせるということで、
そこには個人的な人生や世界への「解釈」が
多分に含まれています。
そしてその「見方」や「読み取り方」を
おもしろがっていただいたり、
たのしみにしていただいているのだと思っています。

けれどこれは拡大解釈すれば、講義だけに限らず、
小説でも、音楽でも、絵画でも、建築でも、
ありとあらゆる表現において、
いえることではないかという気がします。
じぶんのなかにある、あるいは世界中に、歴史上に、
無造作に転がっている個々の出来事を、
それぞれの人生や感性というフィルターを通して
価値のあるものへと「つなげる」。

ビーズ細工の職人のように、
さまざまな色の無数に散らばっている
小さな小さな一つひとつのビーズの玉を、
確かな意図でもってつなげていくことで、
まったくなかった価値を創り出す。

外見上では集合した個々のビーズに価値があるように、
そこが派手に映ってしまいがちですけれど、
ほんとはそれらをつなげている糸(文脈)にこそ、
人を感動させたり、人に影響を与えるなにかが
あるのだろうと思います。

そういう、正直いって他の人が面倒くさいと思うことを、
できる、やってやろうという人たちが、
この世界(人生)に彩りを添えているのではないかしらん。

イデトモタカ(2014年1月6日)

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