no.35 『無趣味のすすめ』 著:村上龍(2) cart

一 節

読書が重要なのではない。
情報に飢えるということが重要なのだ。

感想文

毎日100冊本を読めたらいいのに
なんて思ったこともありますが、
この歳になるとそんなことには意味が無い
というふうに思えてきたりもします。
つまり、追いつかないことがわかるからです。
経験と感情が。

日本におけるフロー理論の提唱者の辻秀一先生に
ぼくの名古屋の師匠がインタビューをしていたのですが、
そのなかに「知識の先に技術はない」と
辻先生がいう一コマがありました。
これはとても印象的なことばです。
そしてその台詞は、
「知識の先に技術があるわけではない。
 知識は知識でしかなく、それを実践した体験と、
 そしてその結果得た感情の3つが合わさって、
 はじめて技術として習得される」
とつづきます。
つまり重要なのは、知る、やる、感じる、だそう。
それは必然的に「知る」だけでは足りない
という警句にも聞えます。

物語の世界に浸る、という読書ではなく、
実用を目的とした読書であるならば
なおさら「読む」だけでは完結しません。
何冊読んだところで、知ったところで、
その先になにもなければ、
それは文字どおり、なにもないわけです。

けれど、です。
けれど、知るということが始まりである
ということには変わりはないわけです。
もっと遡れば、知りたいということが、
その欠落感、渇き、飢えがすべてのはじまりです。
もし、それがないのであれば、
それは逆説的ですが幸福なことであり
なにも読む必要なんてないわけですから。

最後に、ではなにがじぶんを飢えさせるのか
といえば、ぼくはその答えはパッションだと思っています。
情熱。
凡庸な表現ですが、情熱という熱が、
じぶんのなかの吸収のスポンジをかわかせて、
なんでも吸い込む準備が整うのだと思うのです。

どうせなら、熱く生きようぜ。
渇いて、飢えて。

イデトモタカ(2014年1月28日)

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