no.36 『井上ひさしの作文教室』 著:井上ひさし(1) cart

一 節

いい文章とは何か、さんざん考えましたら、
結局は自分にしか書けないことを、
どんな人でも読めるように書く。
これに尽きるんですね。

感想文

ぼくの講演デビューは2009年の4月10日で、
その後もなんどか壇上に立たせていただいたのですが、
当時の率直な気もちは「ぼくが話すことなんか無い」でした。
これは「話す」だけでなく「書く」ということでも、
長い間おなじことばがずっと胸の裡(うち)にありました。

すばらしい本を読めば読むほど、
すばらしい講演を聞けば聞くほど、
もう「ないんじゃないか」という気もちになりました。
なにもぼくが話さなくとも、書かなくとも、
ぜんぶあるんじゃないか。
少なくとも今さらぼくが話すようなこと、
あらためて書くようなことはなにもないだろう。
つまり、まだ誰も言っていないこと、書いていないこと、
ぼくにしかできないことなんて何もないんじゃないか。
そう思っていました。

だから考えました。
ずうっとずうっと考えました。
まだ誰も話していないこと、書いていないこと、
発表していないこと、ぼくにしかできないことはなんだ。
そしたら、一つだけあったのです。
一生かけても読み尽くせない情報の海のなかで、
数千年以上の人類の歴史(文明)のなかで
まだ誰も発表していないことが。
それは、「ぼくの人生について」でした。

これだけは、誰にも真似されることもなければ、
ぼくの他に話せる人は誰もいません。
これこそ、ぼくの語るべきこと、書くべき価値あることだと
ようやく得心したのは、始めて人前で話しをしてから
2年か3年が経った頃だったと思います。

じぶんにしか話せないこと、書けないことを材料に、
おいしい料理をつくる。
それが講演家の仕事であり、もの書きの責務である。
そう自覚してからは、あらゆる過去の出来事が、
さまざまな経験として昇華されていった気がします。

意味のない経験なんてない。
過去にはすべて意味がある、なんて言いますが、
それはぼくにすればいじわるな表現で、
結局のところ、すべての出来事はフラットで、
それをじぶんなりに解釈(料理)して、
血肉にできるかどうかはじぶん次第だぜ、
ということなのだと思うのでした。

じぶんにしか伝えられないことを、
どんな人でもわかるように表現する。
それがあらゆる自己表現活動の基本であり奥義です。
そしてそれを本の一行目で書き示した井上ひさしさんは
まっことすごいなぁと脱帽しました。
そしていつまでもその精神で突き進みたい所存でございます。

イデトモタカ(2014年2月5日)

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