no.37 『井上ひさしの作文教室』 著:井上ひさし(2) cart

一 節

結局は、書いている自分が元気になるような
書き方で書けたらいいな、というのがわたしの希望です。

感想文

書くにせよ、唄うにせよ、奏でるにせよ、創るにせよ、
なにかを表現せずにはいられないという人は
いってしまえば不自由です。
違和感をじぶんのなかで処理できずに、
自己完結できないわけですから。

ぼくは「カシミア」でお金を得ているわけではないし、
生活を支えているわけでもありませんから
いつやめてもいいはずです。
書いた日と、書かなかった日と、
なにが違うのかと訊かれれば、なにもないのです。

でも、書かないわけにはいかない。
書かずにはいられない。
仮に食べるための仕事が忙し過ぎて
これはもう書く時間がとれないということになったなら、
ぼくはきっと少々食べられなかろうが、
仕事の方を減らすと思います。
その思考回路や選択は、どう考えても不自由です。

なんだこれは、と思います。
アイデンティティ、といえばかっこはいいですが、
実際には、下手なじぶんの、辛うじてじぶんらしい
社会との接点のような気もします。
別のことでも社会との接点はあるけれど、
でも、この接し方がいちばんじぶんらしくて気持ちがいい。
そういうものなのかもしれません。

なにを書こうかと、頭を悩ませることもあるわけですが、
それでも書く(表現する)ことで、
救われたり、癒やされたり、励まされたり、
元気になるじぶんがいるのも確かです。
世界中を旅して、まだ知らない世界、知らない地球に
触れることも刺激的で魅力的ですが、
家に居ながらいして、未知のじぶん、未知のじぶんの世界と
出会えるのが書く(表現する)ことで、
だからこそ、やめられないのだという気がします。

いつか、ぼくのことを丸ごと愛してくれる人が現れて、
そこに最大の安らぎを感じたならば、
ぼくは書くことをやめるだろうかと考えます。
もしそうなったなら、それはそれで素敵なことですが、
きっと、やめないだろうと思います。

そういう、不自由なものなのです。
それでいて、希望の。

イデトモタカ(2014年2月24日)

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