no.39 『ラグジュアリー戦略』 著:J・N・カプフェレ 他(1) cart

一 節

もしあなたが子供に、誕生日プレゼントとして
お金や小切手を与えるとすれば、
基本的にそのことはあなたがその子供を知らないか、
または、あなたは彼らを知ることに無頓着である
ということを意味する。

感想文

プレゼントをあげやすい人と、
プレゼントをあげにくい人とがいます。

プレゼントをあげやすい人というのは
たとえばいつもうれしそうにしていたりとか、
小物や雑貨が好きだったりとか
好みの幅が広くて、よろこんでもらえることを
想像しやすい人なのだと思います。
あるいは反対に、好みが限定されている場合も
とても選びやすかったりします。

ぼくが昔一緒に仕事をしていたデザイナーの仲間は
「赤が好き」だということを公言していました。
実際のところどれくらい「赤が好き」なのかは
本人もわからなくなっていた感じですが、
まあ「そういうことにしよう」と決めることで
ぼくらとしてはプレゼントがしやすかったです。
とりあえず赤いものを探せばよかったわけですから。

対照的に、ぼくなんぞはひじょうにプレゼントが
あげにくいと親しい人からは苦言を呈されております。
好みの相当に幅が狭く、少し病的なこだわりがあるからです。
だからモノをいただくことはほとんどありません。
ぼく自身「モノはやめてください」という雰囲気を
明にも暗にも出しているのが伝わっているのだと思います。

だから親しい友人などは、お祝い事のときには
食事や、なにかのサービスが受けられるチケットや
おすすめの映画のDVDなどをくれたりすることが多いです。
ぼくもそういうのが一番ありがたかったりします。

けれどなかには勇敢な人がいて、一生懸命に選んだモノを
渡してくれる人もありました。
そういう場合、結果としてはいただいたモノに
困ってしまうことも正直あるのですけれど、
気持ちはやっぱりうれしいものです。
なんとかぼくのこと(好み)を知ろうとして、
どういうものによろこぶだろうかと観察をして、
という姿勢にうれしさが込み上げたりします。

貨幣というのは一番便利な交換チケットですから、
つい面倒くさがってそれを渡して済ましてしまおうという
発想に陥るものですが、でもだからこそ大切な相手なら
それだけはしないぞと、必死に相手の望みを
知ろうとする行為そのものが、ぼくはいちばん伝わる
「好意」のように思われます。

おしつけはダメですが、汲み取ろうという姿勢は
うつくしく、愛おしいです。

イデトモタカ(2014年3月24日)

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