no.41 『修行論』 著:内田樹(1) cart

一 節

修行というのは、エクササイズの開始時点で
採用された度量衡では計測できない種類の
能力が身につく、という力動的なプロセスです。

感想文

いまのじぶんが思いつく「最高」は、
あくまでもいまのじぶんの範囲内でのことです。
言い換えるなら、いまのじぶんの想像の頂点は
「(最も)理想的な現状」です。
知っていることしか、知りませんから。

「理想的な現状」から抜け出す方法を、
いまのじぶんは知らないのです。
こうかもしれないという、なんとなくの想像はあっても
そこに確信を持つことはとうてきできず、
まして、その結果どういうじぶんになるのかについては
てんで検討がつきません。
そして、それこそが「修行」なのです。

マンガでも、ゲームでも、修行をすることにより
主人公なり登場人物は大きく成長をします。
これは能動的成長です。
一方で、ふだんの生活のなかで、なんとなく
前よりもわかることが増えただの、
できることが増えただのというのは、
受動的成長です。

能動的成長と受動的成長の違いはなにかといえば、
受動的成長はいまのじぶんの延長線上に
じぶんがいることが多いと思うのですが、
つまり、既存の能力の拡大や拡張なのですが、
能動的成長の方は、なにかの拡大や拡張ではなく
まったく別の能力が身につく、ということです。
それも、ひじょうに価値のある能力がです。

イメージとしては、腕立てをしていて、
二の腕の筋肉が徐々に大きくなっていくのは
筋肉の拡大であり、わかりやすい成長です。
けれど修行の成果とは、腕立てをしていて
あるときからまったく腕の筋肉を使わずとも
じぶんの体を支える術が身について
何回でも体力を消耗せずに腕立てができるようになる、
その結果、二の腕の筋肉が落ちて細くなった、
というような感じです。

修行は方法に目標は持てても、
達成地点に目標を置くことができません。
そしてまた、効率とは対極にある概念です。
だいたいは、根本的なことの反復と継続が基本となり
わかりやすい「なにか」が
身につくようなものではありません。
いまのじぶんの濃度を高めて、高めて、
ある地点、閾値を超える、ただそれだけです。

イモムシがサナギに、サナギが蝶になるように、
まったく別物になるのが修行です。
いまの時代、そんな不明瞭で非効率的で面倒なことを
好んでしようという人は少ないですが、
だからこそ、チャンスでもあります。

世界を変える体験がしたいなら、レッツ・修行。

イデトモタカ(2014年6月10日)

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