ESSAY

2020-07-11

しらしめるめる。

書いては消して、書いては消して、これでもう五回目の書き出しになる。これまでに書いた四回の文章をつなげれば、今日の更新分には十分なるのだろうけれど、そんなつぎはぎを読んでもらっても仕方がない。とはいえ今だって、こんなイイワケを読んでもらっているわけだけれど。

こんな日がときどきあって、ぼくはずいぶん困らされる。書きたいことがないわけではなくて、書きたいことが(きっと)つまらないことだから、躊躇われて何度も書き直すことになるのだ。そういうとき、ぼくが書こうとしているものは、たいてはかたちを変えた説教か、自慢話か、ではないかと客観的に見える。

ゲーテの格言集を最近よくぱらぱらと眺めているのだけれど、二百三十年以上も前に書かれたとは思えないくらい、今のぼくらと人間というものは、社会というものは、変わっていないなと感じることばがあふれている。どきっとする文章の一つに、こんなものがあった。

「読者になにかを伝えるためではなく、筆者がなにを知っているかをしらしめるために、書かれた本がある。」

これはものを書く人間、人前で話す人間全員が、今一度こころに置く必要があることばだと思う。ぼくも、あなたに伝えるためではなく、ぼくがなにを知っているかを証明するために、なにかを書こうとすることがある。あるいは、話そうと。そんなつまらないことはなくて。

つまらない人がいたら、理由はここにあったりもする。なにかを伝えるため、あるいは、あなたのためといいながら、実際には本人が、いかにじぶんが「知っている」のかを、しらしめるために利用されているのかもしれない。そんなことに付き合う必要はない。

では、また書きます。
知らないことを共有することの方が。

イデトモタカ