サヨナラと、エッセイだけが、人生だ。

  1. 800文字

クリティカルな助言

友人というものは、ともに成長していく存在ではある。どちらかがひどく先に進んだり、進む気力を失ったとき、変わらず近くにいつづけるのはむずかしい。いつまでも一緒にいられるのは素敵だけれど、そうすることが目的ではない。互いの見えない努力や野心によって関係が維持されるからこそ、うつくしく、おもしろいのだ。

人は誰しも自分のことはよくわからない。顔でさえ、なにかに反射させなければ知ることができない。そしてそれさえも、他人から見えている顔と同じではないのだ。外側がそれなのだから、内側のことなんて、もう一つわからない。だからこそ、それを言い合えるのが友人なのだ。

ぼくは「愛」を延長線だと捉えることがある。自分から伸びた延長線。その線が相手にまで及んでいる場合、その相手の一部(もしくは全て)は自分の一部(もしくは全て)である。だから、相手の痛みは自分の痛みであり、相手の幸せは自分の幸せになる。

(そうすると、けっきょく人は「自分」しか愛せないのか、という話になるけれど、それはまた別の機会にテーマにしたい)

友人への愛があるのなら、もちろん幸せになってほしい。それは自分の幸せでもあるのだから。だから相手には、それが「幸せ」であるのなら、もっと成功してほしいし、夢を叶えてもほしい。なにかを成し遂げてほしいし、くすぶっていないでブレイクしてほしい。そう思う。そう願う。こころの半分で。

けれど人は、なかなか人間ができていないもので、どうしたって「もう半分」では、そこに恐れも感じる。妬みというよりは、悔しさや狡さを感じてしまう。おいてけぼりは嫌だから。だからぼくは「今ぼくになにをされるのが一番嫌か?」と訊く。なにがぼくが見えていない、ぼくのクリティカルな行動なのか。それを素直に質問する。そしてぼくも言う。今あなたになにをされるのが一番狡いと思うのか。成功されそうで恐ろしいのか。

それを言い合う相手がいる幸せよ。(800文字)

では、また書きます。

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