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欲求からみた人間の3パターン

進化論を肯定する。なんて大げさな話ではないのだけれど、やっぱり「人」は、「人でないもの」から進化してきたのだ。と、ぼくは思っています。人は生きるうえで常に過去の影響を受けているわけですが、さらに遡(さかのぼ)って、人以前の影響も受けている。のではないかという話です(前世とかとは別で)。

植物から動物、動物から人。というのが、表現的にシンプルな進化の順番です。植物から動物の間には、魚だったり、両生類だったりがあるわけですが、そこはちょっと飛ばします。

解剖学者の三木成夫さんは、人間のなか(臓器)にはきちんと進化の系譜が刻まれていて、例えば酸素を吸収して二酸化炭素を排出する「肺」というのは、植物の頃の名残りとしての臓器。対して、消化を担う「小腸」や「大腸」は動物的な臓器だ、というようなことを書かれています。

また、受精卵が人になるまでには、「人でないもの」が「人」になるまでの、進化の歴史をわずか十月十日で再現している(追っている)のだと。とてもうつくしい着想で、ぼくは三木さんのこの考えが好きです。

体に名残りがあるのなら

体(臓器)に植物や動物の頃の名残りがあるというのなら、それは心(思想)にだって名残りを残していると考えるほうが自然です。ということは、ぼくらには、植物的な発想や、動物的な考えというのがあってもおかしくない。これがぼくのアイデアです。そしてもちろん、人間的な特徴も。

脳における大脳辺縁系は爬虫類脳(動物的で野性的な脳)だとか、大脳新皮質は人間的で知性的な脳だとか、そういう話とは違います。「本能的な傾向」とでも呼べるものが、それぞれのタイプとしてあるではないかしらんと。

「欲求」と言い換えることもできます。植物的欲求、動物的欲求、人間的欲求が、それぞれあって、人によってタイプの差があるなと、いろんな人に出会った経験からそう思える部分があります。

1.植物的な人の特徴

このー木なんの木、気になる木ーでおなじみの、モンキーポッドをイメージしてください。あるいは、家の近所に咲いている花を想像してください。あえて擬人化しますが、彼らの欲求はなんだと思いますか。どういうことが幸せなのか。

ぼくの頭に浮かんだキーワードは「繁栄」です。葉を繁(しげ)らせる、種子を広範囲に広げる、高く高く伸びる、たくさんの実をつける。

植物的欲求の強い人は、繁栄を望みます。内面的繁栄は自己成長です。人は草木のように、見た目にはどんどん大きくなったり、花を咲かせたりはしませんが、自分の内側には成長の実感や喜びがあります。また、外面的繁栄は、自分の影響力を大きくしたり、組織を拡大したり、あるいは家族(一族)を潤わせたり、多くの異性にモテようとしたり。

そういったものは、ぼくは植物の頃の記憶(本能的喜び)である「繁栄」の力によるものではないか、と思っています。

2.動物的な人の特徴

今度は野生のチーターや、キリンやヌーなどの動物を想像してみましょう。彼らの本能に根ざした喜びはどこにあるのか。もちろん子孫を残す「繁栄」も重要な要素です。でもそれは、動物にしても植物の次の段階にあると考えれば、持っていて当然です。そのうえで、動物的な欲求はどこにあるのか。

ぼくは「獲得」ではないかと思いました。エサとなる動物を狩りによって得る。あるいは、草や葉を探し求める。安心な寝床や暮らしやすい場所を確保する。自分の力や能力を発揮して、望むものを手に入れる。ここにぼくは動物性を感じます。

動物的欲求の強い人は、獲得に大きな喜びを感じたり、それがドライブになったりします。あのバッグが欲しいからがんばる。あの車に乗るために努力する。モノだけでなく、あの人を必ず振り向かせるだとか、あの賞を絶対に受賞してみせるだとか。

もちろん誰にでもある本能の一つですが、特に強い人もいます。ぼく自身の話をすれば、植物的欲求が強いのに比べると、動物的欲求はそれほど強くないように感じます。逆の人もいるでしょうから、欲求の強弱は個性の一つと捉えられます。

3.人間的な人の特徴

最後に(妙な日本語だけれど)人間的欲求の強い人はどんな人か。植物や動物の欲求をふまえたうえで、さらに人間独特の特徴。なるほど人間らしい欲求とはなにか。

抽象的になりますが、ぼくはそれを「実現」ではないかと考えています。頭で思い浮かべたもの、イメージして想像したこと、それを具現化したい。現実にしたい。そういった強い希望は、植物的でも動物的でもありません。まさしく人間的です。

いやいや「繁栄」だって「獲得」だって「実現」じゃないか、と言われればそのとおりです。でもそこに含まれない独自性も「実現」にはあります。例えば自分にとっての理想のイスのイメージをデッサンして、実際に作るというのは(それに伴う喜びは)、繁栄でも獲得でもないように思います。逆に、こんなふうにリッチになって、大きな家に住んで、好きなときに旅行をして、というのは、繁栄や獲得に分類されそうです。

善悪二元論じゃないのだよ

こういった欲求の種類は、ぼくが勝手に考えたもので、どれがいいだとか、ダメだという話ではありません。植物的欲求や動物的欲求は劣っている、人間的欲求は優れている、なんてものでもありません。ただの特徴であり、違いです。

なるほど、そういう見方もあるかもしれない、とおもしろがってもらうだけでいいです。場合によっては、人を見るときに「この人はこういう部分が強いな」とわかったなら、それとなく話を合わせたら盛り上がる、というくらいなものです(ぼくはままそういう役立て方をします)。

自分はどの特徴が強いのか。多少なりとも把握できたなら、なにが自分の幸せなのか考えるときに、迷いが減るかもしれません。固定されたものでもなく、年齢や環境、時期によっても段階的に変わることもあります。それもまたおもしろいです。

追記という名の余談

ぼくらには植物の頃の記憶があるから、春はうれしくて、夏はエネルギーが湧き、秋はふくふくとした気持ちになって、そして冬には、喪失の寂しさがあるのではないかしらん。

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