サヨナラと、エッセイだけが、人生だ。

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本はいつ読めばいいのかの本音

親友の一人が、春から北海道に移住することになった。久しぶりに電話をくれたのだけど、聞くと去年の冬に年下の可愛い奥さんの妊娠が発覚するやいなや、仕事をクビになって、無職ださてどうしようという状況なので、奥さんの実家がある北海道に移住して、しばらくは同居させてもらってその間にまあなんとかするよ、という話だった。

つけ加えると、ずっと雇われの身だったけれど、ネットビジネスや自分で稼ぐことに興味が出てきているということでもあった。なかなかドラマチックな展開だけど、不思議なもので「どこか聞いたことのある話」でもある。聞いたことのある構造とでもいうのか。

やさしい親友で、ぼくが名古屋に移住するときには、ティファールの取っ手がとれるフライパンセットが非常に便利だとプレゼントしてくれた。北海道に行くのなら、今度はぼくがなにか贈ろうか、なんならいい具合に年季の入ったティファールのフライパンセットを(本当に便利なので)そのまま返そうか、と伝えたのだけれど、他にほしいものがあると断られた。ほしいものとは、本だった。

やっかいな依頼

イデくんの独断と偏見で構わないから、おれが読んだらいいと思う本を3冊、選んでプレゼントしてほしい。そう頼まれた。これは想像以上にやっかいなお願いだった。おかげでぼくは数週間、常に「どれがいいか」と考えつづけることになった。

それに親友は本をほとんど読まないので、ヒントもない(ぼくの記憶では、彼が最後に読んでいたのは『コロコロコミック』だ。数年前の話として)。なんでもいい、と本人は言うけれど、本当になんでもいいわけではないのは、ぼくもオトナなので知っている。面倒なのでもう『刃牙』や『HUNTER×HUNTER』の中途半端な巻を古本屋で買って渡そうかとも思ったけれど、やっぱりきちんと考えることにした。ティファールのフライパン分は、ぼくも真剣になる義務がある。

最終的に、いろいろなバランスや彼の状況を考慮して、ライフスタイル、ライティング、思想の分野から一冊ずつ、おすすめの本をプレゼントした。どの3冊を選んだのかは秘密にしておこうと思う。彼のためだけに選んだものだから。ただ問題はここからだった。

知らねえよとしか

渡した本は、とても喜んでもらえた(と思う)。おまけとして、奥さんにも1冊プレゼントした。ぼくの過去のツイートやエッセイをまとめた本(ことば集)だ。なんともナルシストだけれど、まあ(自分で)大目に見ることにした。こちらは非売品。

数日後、電話がかかってきた。早くも本の感想か、もしくはあらためて本のお礼かしらと思って出てみると、どちらとも違った。「なあイデくん、本っていつ読むんだろうか?」という「知らんがな」としか答えようのない質問だった。

「読みたいときに読んだら」というのが答えだし、読みたいという欲求が高まってきたからこそ、ぼくに「おねだり」をしたはずだ。それでも、これまで本を読まなかった人は、いつが「読み時」なのか知りたいと思うものなのかもしれない(そんなものはないのだけれど)。

食後や眠る前、あるいは早起きして朝一番に、というのが一般的な回答になりそうだけれど、ぼくが強調して伝えたかったのは「暇な人が読んでるんじゃない」ということだった。つまり、忙しいから読めないというのは認められないと。

漫画やゲームやツイッター

漫画をいつ読むのか、ゲームをいつするのか、ツイッターをいつ開くのか。答えは「スキあらば」だし「いつでも」だ。本が好きな人、本を読む人は、その隙間にただ本が入るだけのことだ。

ぼくがいつ本を読むかといえば、Macを再起動している間だとか、ストウブ(鍋)から湯気が出てくるのを待っている間だとか、うまく寝つけないときだとか、仕事の締切が迫っているときの現実逃避中だとかだ(これが一番多い)。もちろん電車を待っているとき、移動中、なにかにすこぶる興味があるときも。つまり、いつでも、だ。

話すように、呼吸をするように、漫画が好きな人は漫画を読むし、ゲームが好きな人はゲームをするし、ツイッターの住人はツイッターを見る。それだけじゃない。漫画家やイラストレーターになるような人は、いつでもなにかを描くし、ぼくらのように書くことを生業にする人は、なんだかんだ、いつもなにかを書いている。料理人は料理をしているし、語学を習得する人はずっと外国語にふれている。

意識しなくなるというのが習得であるなら、なにかを習得したいと思ったら、話すように、呼吸をするように、「それ」をやる。周りから「そういう奴」というレッテルが貼られてこそ一人前と思うくらいに。

汎用的な結論

本はいつ読めばいいのか? 読みたいときだし、いつでもだ。もし本から多くのことを得たいと望むなら、話すように、呼吸をするように、人生のなかに溶かし込む。これは他のどんなことにも言える。熱中みたいな冷めるものではなく、燻製のようにじんわりと染みつけるというのか、そういう生き物に自分を侵していくのだ。

人間ほど多様な進化を遂げた生物はいない。見た目の変化が乏しいだけで、人間だけで図鑑が何十巻にもなるほどいろんな種類がいる。あなたはどういう人間になりたいのだろうか。そのための「それ」をいつでもやるといい。それが一番の近道だから。ぼくは人間のなかでも「書く」タイプの生き物でいいと思っている。だから書く。話すように、呼吸をするように。

では、また書きます。

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