ESSAY

2011-06-19

星空のうた。

悩みや、辛さや、苦しみや、我慢や願いを、かつてぼくらは空や星にたくしていたと思います。見上げれば、澄んだ空があって、星があって、それらは底なしに広がっていて、人々はそれぞれの、抱えきれない荷物の片側を、それらに持ってもらっていたんじゃないかしらん。けれど、いまは、上を向いて歩いても、無限の星空は、あまり見えません。

過去に生きた人たちよりも、現代人の方が、たくさんストレスを感じているというようなことがいわれます。それは社会が複雑になった、というだけでなく、夜空に星があまり見えなくなった、ということも、関係があるような気がします。もし、いま、もっと、だれがどこで空を見上げても、そこにことばを無くす星空が広がっていたら、抱えきれない荷物は、うんと、軽くなるんじゃないかと思います。その荷物でおしつぶされてしまう人たちが、うんと、減るんじゃないかと思います。

悩みや、辛さや、苦しみや、我慢や願いを、いまぼくらはどこにたくしているのか。その場所は、もしかしたら、このインターネットという空間じゃないかしらん。けれども、実際には、インターネットという澄んだ空のような、無限に広がる空間はなくて、そこにあるのは人と人とがつながる、ぼくやあなたで構成された、人々の世界です。

つまり、ぼくらはいま、悩みや、辛さや、苦しみや、我慢や願いといった、抱えきれない荷物を、また、同じようにそれらを持った人へたくしているように思います。けれど、ほんとうは、いいのは、ぼくらよりも大きな受け皿をもった、自然にたくすことだと思うのです。つきぬけるような青空や、こころを奪うような満月や、じぶんの存在をうたがうような満天の星空に、手伝ってもらうのがいいと思うのです。人どうしだと、いちばんやさしい人から、順々に、だめになってしまうような気がします。

まだ学生のころは、この川に蛍を戻そうだとか、排気ガスを規制しようだとかという運動に、あまり感心がもてなかったのですが、いまは、自然は汚しちゃいけないし、できることなら、うんときれいにしたいと思います。ぼくでまかないきれない大事な人たちの受け皿は、やはり自然しかないように想います。

上を向いて歩くことの意味は、涙がこぼれないだけでなく、そこに満点の星空が広がっているからこそ、もっといいのだと思います。

イデトモタカ