ESSAY

2011-07-03

都会の顔について。

都会という場所をごちゃごちゃしているように感じるのは、人が多いからだと思ってたけど、実際には、人というよりも、「顔」が多いのではないかと思う。人というと、生きて動いているぼくらだけだけど、顔というと、そこらじゅうにある看板やらポスターやらのなかにもある。都会は人が多いので、たくさんの企業がこぞって広告を出す。そして多くの広告には、顔(人)が登場する。電話ボックスに貼られたチラシの小さな顔、見上げたビルに掲げられた、ワンルームの部屋ほどの大きさもある有名人の顔。もちろん目線を落とせば、そこには本物の人間の顔がいっぱいで。都会は顔に囲まれている。そしてまたぼくにも、顔がある。

モノが多いごちゃごちゃと、顔が多いごちゃごちゃは、おなじごちゃごちゃでも、少しちがう。日本の都会のごちゃごちゃは、間違いなく顔が多いごちゃごちゃだ。野外のすべての広告に、もし顔を出すのが禁止になったら、おそらくいま感じているごちゃごちゃは、いくぶんか減るんじゃないかと思う。実際にはそうならないし、そうする必要もないけれど、顔というものの圧迫感はそれだけ大きい。

本来、自然のなかには顔があるが、名刺くらいの小さな顔や、畳くらいの大きな顔はどこにもない。それが「ある」のが、都会独特の不自然さだと思う。そして、ぼくらが田舎や自然に赴くのは、生活のなかの「顔」を、減らしたいのではなかろうか。

イデトモタカ