ESSAY

2011-07-17

こころの受信感度。

お仕事がいそがしくなって、ビジネスモードが占める時間が長くなると、ぼくはあきらかに感受性が鈍ってきます。たぶん、こころにぐっとチカラを入れているので首や肩みたいに凝ってきちゃうんだと思います。これは、困りものです。

ぼくはツイッターでつぶやくときは、一つひとつ題名をつけているのですが、たまにリクエストをいただくことがあります。「【素直】でなにかありませんか?」という感じにご連絡をいただきます。これはとてもうれしいのですが、いまだかつて実現したことがありません。ほんと、たいへん、申し訳ない。ピンとくるインプットがないと、書けないのです。なので、アンテナの精度が落ちると、もう、なにも出てこなくなってしまいます。

なんだかんだで、こうした(なんでもない)文章を書いてきているので、そういう「なんにも出てこない」ときの対処法もよく承知しています。ですので、スランプ、ということにはもうならなくなりました。ちなみに、なんにも出てこないときは、ぼくは「情報量」で書くことにしています。感性がだめなときは、情報で。情報は単に膨大にインプットして、それをじぶんのフィルターをとおしながら編纂しさえすればいいので、まず、大丈夫です。じぶんのことば、という点では、少し遠いですけれどね。

ざらざらした人や、チクチクする人と一緒にいると、こころが固くなるから、やめたほうがいいです。人生に、毎日の生活に、大きな感動や、大きな喜びというのはそうそうはないものじゃないかと思うのです。だとしたら、感受性のアンテナを敏感にして、小さな感動や、小さな喜びに気づけるようにならないと、あんまり、たのしくなくなっちゃうと思うのです。つまり、仏頂面になってしまうと思うのです。

ぼくは強くないので、ざらざらやチクチクからは「逃げろ」というのですが、世の中には「じぶんの感受性くらいじぶんで守れ」ということばもあるそうです。最近はその姿勢も、見習わんと、と思っちょります。

イデトモタカ