ESSAY

2011-08-09

「びじねす」について。

中学生のとき、親から買ってもらったり、じぶんのお小遣いで買ったゲームを「売る」という発想がまったくなくて、そういうことをふつうにしている同級生が、なんだかすごくオトナに思えました。

未成年だから、保護者のサイン(同意書)が必要だったけど、それでもなんだか自立している感じがあって、おおげさだけど「びじねす」をしているような目でぼくは彼らを見ていました。

買ったものが、いらなくなったら、新鮮なうちに、まだほしいだれか(店)に売る。こういう感覚って、ほくほくなにも考えずに育ったぼくにはもしかしたらいまだに身に付いてないかもしれません。なにより、当時のぼくは、人一倍モノに愛着を抱くタイプだったので、切望して手に入れたモノを手放す、ということが、どうにもこうにも、しっくりきませんでした。

ちょっと真似して、もうクリアしたRPGのゲームだとか、やらなくなった格闘ゲームだとかを、親についてきてもらって売ったこともあったけど、いまだに、売らなきゃよかったと覚えてるもんね。最終的には「売る」という落とし所を意識してなかったから保存状態もすっごくわるくて、幽遊白書のスーパーファミコンのソフトだったんだけど、50円にしかならなくて、あれはショックだったなぁ。

お店の人に「50円だけど、いいの?」と聞かれて、お父さんも、いいのか?という顔でぼくを見たけど、ぼくはさも当然のように「うん」っていったもんなぁ。あれ、でもほんとは、すっごくショックでした。「びじねす」はむつかしいと、思いました。

いまはゲームしないから買わないけど、服でも、本でも、パソコンでも、最終的には売って、次。という感覚は、いまだにもててないです。きっと、そういう生き方も、向いてないと思うしね。だから仕事をする年齢になったいまも、遊びや趣味と区別のつかないことをしています。あのころの同級生は、いまなにしてんのかなー。「びじねす」やってるのかな。

イデトモタカ