ESSAY

2011-08-25

ネットにはない達成感。

ブログ、ツイッター、フェイスブックといろいろな新しい遊び(趣味)がふえて、日常に入ってきました。これらは、じょうずに使う(遊ぶ)と、とてもおもしろい体験をさせてもらえます。このたのしさを、釣りに喩えて考えていました。

まず、エサとポイントを選んで、相手に対してアプローチをしかけます。とりあえず、これだけでも、最初の頃はたのしいです。このたのしさを10とします。

じぶんの行ったアプローチに対して、反応があった。これはとてもたのしくて、うれしいことです。このたのしさを50とします。これでも充分に、クセになるような快があるかもしれません。

さらに、この後に「やりとり」が加わると、たのしさは80にまでふえるかもしれません。

けれど、先に挙げたインターネット上での遊びでは、ここまででお終いです。しかしほんとう釣りなら、この後に「釣りあげる(出会う)」という達成感が待っています。そこが、最大のちがいだと思いました。きっとそのときのたのしさやうれしさが100になります。

釣りは好きだけど、魚は触りたくない。という方にとっては、80までで充分なのでしょう。むしろ、それ以上を望んでいないのだと思います。50で満足、10で満足という方もいらっしゃるかもしれません。けれど、ぼくがこのインターネット上での新しい遊びに感じるちょっとした空虚感(物足りなさ)は、最後の「出会う」なのだということが、さいきんようやくわかってきました。たのしさやうれしさはあっても、達成感は存在しないです。

アプローチして、反応があって、やりとりをして、出会う。その結果、じぶんの人生に新しい色が加わって、もっともっと、世界が豊かになっていく。

ぼくはそこまで求めたいなぁと思います。もちろん互いが望んで、機会があれば、ということですが、いつかあなたにもちゃんと出会いたいなぁと感じます。そうしてようやく、この新しい遊びが、ぼくのなかでじょうずに完結するように思います。

釣りは、その行為じたいもたのしいです。けれどやっぱり、ぼくは最後には水の中にいる、みえない魚に会いたいです。

追記:

もちろん「出会い系」サイトを肯定するわけではないですが、実際あれほどまでに人気を博したのは、他とは違い、きちんとコンテンツとして完結していたからだと思います。達成感を味わえる、というのが、特異だったような気がします。ただ、相手へのリスペクトがないんですよね。それは、ソーシャル(社交)においては、やはり致命的欠陥になりますね。

イデトモタカ